上品な観覧席

2014.5.14

京都ではあした(5月15日)「葵祭」がある。
「葵祭」は賀茂の神々の祟りを鎮めるために勅使(ちょくし)(天皇の使い)が賀茂の神社(下鴨神社と上賀茂神社)に捧げものを届ける行列だそうだ。従って勅使の行列は当然御所から出発する。

けさ京都御苑(きょうとぎょえん)に行ったら、もう観覧席の椅子が整然と並べられていて、その有様は実に見事だった。


2014.5.14 07:35 AM

紫式部が書いた小説「源氏物語」に車争(くるまあらそ)いのエピソードがある。
「葵祭」(当時は賀茂の祭といったらしい)の行列に加わっている光源氏を見ようと、正妻と愛人が見物席の場所取りで争うという面白い場面だ。 【注:葵の上、六条の御息所】
正確には、葵祭の行列ではなく、葵祭の斎院(さいいん)御禊(ごけい)(みそぎ)に行く行列のときのハプニングらしいが)

当時は人口も少なく、見物に押し合いへし合いという混雑もなかったと思うが、恋のさや当てが高じてけんかになったのだろう。
今日では当時とは比べ物にならない位の見物人の数だが、押し合いへし合いということもなく、こういった椅子席でゆっくり見物できるようになっている。

こうすれば「源氏物語」のような野卑なハプニングやトラブルはなくなるものの、上品になった現代は、まぁちょっと淋しい気もする。
人はもともと野卑なものだ。
整然と並べられた椅子を見てそんなことを思った。

2014.5.14








目にしみる緑

2014.5.6

桜が終わり、きのうは暦の上では「立夏」だった。
新緑の緑が目に()みる頃である。

きょうちょっと外出したついでに東福寺というお寺にまで足を延ばした。

東福寺は秋の紅葉の名所で、とくに「通天橋(つうてんきょう)」付近の紅葉は有名だ。
きょうは駐車場に車を停めた関係で、「臥雲橋(がうんきょう)」という橋を通って東福寺に行くことになったが、その「臥雲橋」から「通天橋」が見えた。
一面新緑のモミジだ。


向うに「通天橋」が見える
こちらは一般道としても使われている「臥雲橋」

紅く染まった紅葉も見ごたえがあるが、新緑も捨てたもんじゃない。
『新緑が目に染みる』とはいうが、なぜか紅葉が目に染みるとは言わないナ・・・ そんなことを思いながらゆったりと新緑を楽しんだ。空気もうまい。

この「臥雲橋」はすでに東福寺の境内らしいが、一般道としても使われているらしく、バイクや自転車も通れるようになっていて驚いた。
これが国の「重要文化財」だとか。
近くに迂回路がないので一般の通行も認められているのだろうが、ぜいたくな道路だ。

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境内に入ると大きな三門があった。
いまちょうど一般公開で上に登れるというので登ってみた。(一般公開はきょうが最後だとか。)
京都には知恩院、南禅寺、大徳寺など三門(山門)がありときどき一般公開されているが、どれも一度も登ったことがなかった。

貰ったパンフレットに「禅宗最大の三門」とあるだけあって、大きい。
上層は広い空間となっている。
柱はとても太く、梁はとても大きい。
室町時代に再建されたのが今に伝わっており「禅宗現存最古の三門」だそうだ。
説明では、このように太く大きな柱や梁は平安・鎌倉期までに採りつくされ、室町時代になると手に入りにくくなったそうで、この東福寺の三門の木材は東北地方のものだという。

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国宝の三門の階上でお寺のガイドさんの説明を聞く

『木は大きくなるまで何百年もかかるので、木を伐採したらあとの補充が利かない』との説明は説得力があった。

安土桃山時代、豊臣秀吉が京都に大仏殿を作るとき日本全国から大木を集めさせた話を思い出した。
そのときにはどれだけ材木が集まったか知らないが、「そのせいで日本全国に大木が無くなった」「大仏殿ができて間もなく京都に大地震があった。そのとき大仏は壊れたが大仏殿はビクともしなかった」そうだ。

閑話休題。三門の天井や梁には絵の装飾が残っており、仏壇には釈迦如来や十六羅漢像など立派な仏像が安置され、いずれも室町時代のものがそのまま残っていて「禅宗最優の三門」だそうだ。
お寺のガイドさんが分かり易く上手に説明された。

この三門は国宝だという。
そんなもったいない建造物の上に登らせてもらって恐縮した。

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さてそのお寺のガイドさんの説明の中で印象に残ったエピソードをひとつ。

この三門を再建したのが室町幕府の第4代将軍・足利義持(よしもち)公。
当時東福寺には吉山明兆(きつさん みんちょう或いはきちざん みんちょう)という画僧がいたという。
画僧というのは寺院専属の画家を言うらしい。
当時の東福寺はすでに桜の名所として知られていたらしいが、将軍義持が明兆に望みを問うたところ、「境内に桜の木があると遊興の場になり修行の妨げになる」と言って、義持に桜の木を切るよう所望したという。それで桜の代わりに楓の木が植えられ、東福寺は天下の楓の名所になった、という。

へぇー 感銘深いエピソードだった。

当時から桜の花は人の心を迷わせるものであったらしい。

2014.5.6











一時代の終焉か

日本経済新聞 2014.5.1 朝刊 p.2

2014.5.1

きょうの朝刊に出ていた「インターネット・エクスプローラー(IE)に欠陥が見つかった」「利用者のパソコンが乗っ取られる恐れがある」という記事を見てあわてた。 ( 日本経済新聞 2014.5.1 朝刊 p.2 。)
私もIEを使っていたからだ。

対策としては「マイクロソフトが修正プログラムを配布するまでは、他のブラウザーを使うように」と書かれていた。
私の場合、グーグル・クローム(Google Chrome)が私のパソコンにたまたまダウンロードしてあったが永らく使わずそのままになっていた。
それを思い出して、使い始めた。

私の周りに聞いてみたら、「グーグル・クロームにした」とか「ファイヤーフォックス(Firefox)にした」との声が聞こえてきた。
みんなこれまでIEを使っていた方々だ。
わっ、これじゃIEのマーケットシェアが一気に失われそうだ。

IEのマーケットシェアは新聞記事では「日本国内で約5割」(出所 スタットカウンター)とある。他のソースでは「6割」(調査会社 ネットアプリケーションズ調べ)とあった。
IEが事実上の業界標準(デファクトスタンダード)だったので私もブラウザーはIEを使用、私のこのホームページもIE対応で作成してきた。
周りを見渡してもみんなIEだったから、IEのマーケットシェアは「9割超」が私の感じだ。
それが雪崩(なだれ)を打ってこの事態だ。
一時代の終焉を思わせる。

思えば、昔はネットスケープ(NetScape)というのを使っていた。
マイクロソフトが IEをウインドウズ(Windows)と抱き合わせで広めたのでネットスケープのシェアは急速に失われた。
裁判で抱き合わせは違法とされたがそのトレンドは変わらなかった。
私も尻馬に乗ってIEに切り替えた。
1990年代後半だったと思う。

それから15年から20年近く。
IE時代の終焉だ。
感慨深い。

私自身グーグル・クロームを使ってみたが、まだ設定など慣れていないのでちょっと戸惑うことがあるが、きょうはまだ「初日(しょにち)」だ。
そのうち慣れるだろ。
そうなってほしい。

2014.5.1









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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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