聚楽第遺構と防災

2015.10.27

私はいま聚楽第(じゅらくてい、じゅらくだいとも)の跡地と言われるところ、正確には 濠跡の上 に住んでいる。
聚楽第と言っても小中学校の教科書に載っていないのであまり知られていないが、16世紀末に造られた豊臣秀吉の政庁兼邸宅だ。
当時日本に来ていたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは聚楽第を見て 「絢爛豪華であり、深い濠と石壁で取り囲まれ」「(部屋や広間の)内部はすべて金色に輝き、種々の絵画で飾られて」 いたと記録している。(松田毅一・川崎桃太訳『日本史』第33章、中央公論社1978)

そんな目をみはるばかりの立派な聚楽第だったのに、竣工して8年後に完全に壊され、濠も埋め立てられ、しかも当時の記録が少ないので、縄張りや建築群の実態はよくわかっていない。

縄張り、すなわち濠がどこにあったかは、歴史学上で重要だが、現代では 防災上で重要 だそうだ。
つまり、濠跡は埋め立てた箇所なので地盤がゆるく、大地震が起これば 防災上問題があるという訳だ。

下の地図のブルーの部分は聚楽第の『濠』として既にほゞ確定している。
薄水色の部分は『外濠』が想定されるが、確認されていない。
東側の『外濠』は存在せず、その東に流れている『堀川』が外濠の役目を果たしていたのではないか と考える人もいる。
この辺りは民家が立て込んでいて発掘調査ができない。

探査地点
聚楽第復元図
きょう(2015.10.27)の探査はきみどりの部分

そこで きょう (2015.10.27) から、京都大学防災研究所 が地震計を利用して地下を探査することになった。
手順としては、大きな木づちで地面をたたいて地震波を発生させる。
一見するとローテクなので、見ている人の中からは 『こんなんで (地中の様子が) わかるんやろか』 との言葉も聞かれた。
地震波の伝わる速度は地盤が軟らかいと遅くなるため、地表に並べた検出器で記録して解析すると、地盤が弱い 濠の跡地がわかるというスグレモノだ。

きょう初日の探査は 上の地図の きみどりの部分。

地震計をセットする
地震計をセットする

大きな木づちで地面をたたく
大きな木づちで地面をたたき、路上に並べた24個の検出器で地震波を拾う

京大防災研の調査チームが探査直後にパソコンで解析したところ、赤丸印の箇所 (2箇所) で濠が確認されたという。
従来から知られていた 『内濠』 と、きょう確認された 『外濠』 だ。
先生は 「(2箇所が) あまりにキレイに出たんで驚いた」 と感激しておられた。

聚楽第復元図
聚楽第復元図
ブルーは濠としてほゞ確定している部分。きょうの探査はきみどりの部分、赤丸印の箇所で濠が確認された
赤線で囲まれた部分は『外濠』が想定されるところ

京都新聞記事
きょうの京都新聞夕刊の紙面


夕刊の〆切に間に合わなかったので、紙面には 『外堀解明へ』 と書かれているが、聚楽第の東の 『外濠』跡 が発見されたのである。
確かにこれは、歴史学上の大発見 だが、濠跡の上に住んでいる者にとっては 心中穏やかでない。
歴史的遺跡の上に住む者の宿命か。
大きな地震が京都を襲わないように祈るばかりだ。

2015.10.27












普段行かない東京見物

2015.10.11

きのう 東京で或る集まりに出席したあと、3連休なので東京に一泊した。
私は約40年間も東京の会社に勤め、営業で都内をまわったので、東京のほとんどは行って知っているが、きょうは普段行かない東京見物をした。
それは 神宮外苑の絵画館
正式には「聖徳(せいとく)記念絵画館」ということを初めて知った。

絵画館の入場券
入場券とパンフレット
パンフレットには 絵画全80作のリストが載っている

晩秋には黄葉した銀杏並木の先に絵画館が見える・・・ シンメトリックな観光写真で有名なスポットだ。
ところが、中に入ったことがなかった。
内部は明治時代の日本の歴史ひとこまひとこまを、明治天皇の事跡を通して描いた80枚の絵画、前半40枚は日本画、後半40枚は油絵が展示してある。
文字通り「絵画」館である。

絵画館内部の展示室
内部の展示室

1枚1枚が歴史のひとこまであり、名画家の筆になる絵もあり、解説を読みながら回ったらとても見ごたえがあった。
Washington_Delaware.jpg京都・二条城二の丸御殿の大広間での大政奉還(決意表明)の図、岩倉具視が遣欧使節団として横浜港を出発する図(山口 蓬春筆)など、教科書でお馴染みの図もあって、へぇー 原画はここにあるのか・・・ と思った。

昔ニューヨークにいた頃、ときどきメトロポリタンミュージアムに行ったが、この「Washington crosses the Delaware River」(デラウェア川を渡るワシントン)の前はいつも人だかりがあった。
アメリカ史の教科書に必ず出てくる有名な絵(の原画)だからだ。

単純に比較はできないが、こちらの絵画館は入場者もほとんどなく閑散としていた。
昔と違って学校で習うことは多いが、子供たちがここへきて日本の近代化の歴史を学んでほしい。
いまでも日教組は皇国史観として明治天皇をないがしろにしているのだろうか。
立派な建物と収蔵絵画が、忘れ去られたような こんな状態でとても残念に思った。

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さて、絵画館でもらったパンフレットに、近くに樺太国境確定標石があると紹介されていたので、ついでに見に行った。
日露戦争終結後のポーツマス講和会議でロシアは樺太の北緯50度以南を日本に割譲することになり、国境線に置かれた標石のレプリカ(模造)だという。

樺太国境確定標石
樺太国境確定標石 模造

太平洋岸から間宮海峡までの国境線は約150km。
その間に、東から「1号」「2号」・・・と4個の標石が置かれた。
最後の(一番西の)「4号」のレプリカがこれだという。

樺太国境確定標石
樺太国境確定標石 模造
この「4号」の本物は現在行方不明だという

領土は広ければいいというもんでもないが、或る時期はここまで日本の領土だったのだ。
これも日本歴史の1ページだ。
私の住む京都には「○○跡」といった石碑が多いが、この標石は「跡」ではなくそのものだったので感慨もひとしおだった。

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さて、少し行けばいま話題の新国立競技場の建築現場のはずだから、というので野次馬気分で見に行った。
思ったとおり板囲いがしてあったが、一部はフェンスのままだった。
広大な場所である。
フェンス越しに写真を撮っている人がいたので、私も覗きに行った。

新国立競技場建設予定地
新国立競技場の建築現場
フム フム。 
わずかの隙間から中を覗く。

新国立競技場建設予定地
国立競技場の跡地を覗き込む若者

ここにあの巨大キール(竜骨)に支えられた新国立競技場が建つ予定だったのか。
キールの片一方はJR中央線を越える大きさだったという。

新国立競技場建設予定地
国立競技場の跡地
右手にエンパイヤステートビル風のNTTドコモビルと東京体育館
左手に千駄ヶ谷インテスのビルが目立つ

新国立競技場計画が白紙にもどって、さて今度はどんなデザインになるのか。
前の国立競技場だって悪くなかった。
なんで壊してしまったのか。
改造(リフォーム)で済ませられなかったのか、悔やまれる。

オリンピック招致のためには「斬新なスタジアムを作ります」とIOC総会で公約したので、作り直さざるを得なかったと聞く。
ま、それなら仕方ないか。
もったいない話だ。

きょうの私は東京見物の巻でした。

2015.10.11












人気ナンバーワン

2015.10.4

きょうはインターネット上で世界最大級の 旅行口コミサイト トリップアドバイザー ® が選ぶ 「外国人に人気の日本の観光スポットランキング(2014年)」(2015発表) で第1位に選ばれたという伏見稲荷(いなり)大社に行ってみた。

去年 2013年(2014発表)、おととし 2012年(2013発表) とも第1位は 広島平和記念資料館 で、アメリカ人から見れば贖罪(しょくざい)の意味もあるのかなぁ、非米国人にしてみても、人類最大の悲劇を知ることは感慨深いものがあるのだろうなぁ、と思った。

トリップアドバイザーが選ぶ外国人旅行者人気ナンバー1
トリップアドバイザーが選ぶ外国人旅行者人気ナンバー1

ことし 伏見稲荷が選ばれたのは(2014年集計)、鳥居の朱色がとても日本的だし、その連続する朱色の鳥居が写真の被写体として面白いらしい。
最寄りの鉄道駅から徒歩5分という便利さ、京都の寺社は入場料 (拝観料) を取るところが多いがここはタダだという理由、さらには稲荷大社は山腹に広がっていて お山巡り ができることも、ウォーキングが好きな欧米人に好かれている理由だという。

実は私も 『千本鳥居』 から先の お山巡り は行ったことがなかった。
まずは、本殿の裏から始まる 『千本鳥居』。
お稲荷さん (京都では伏見稲荷大社のことをこう呼ぶ) のハイライトだ。

千本鳥居の始まり
千本鳥居の始まり 私も右端に写っている

女の子が ひとうつ・ふたつ・・・ と数えていた。
『千本鳥居』 というからにはホントに千本あるのか確かめているのだろう。

千本鳥居を数える
ほんとは何本?

「千」 というのは 「多い」 という意味で、必ずしも千本ではない、というのが常識だが、インターネットを見ていたら、二十歳(はたち)の青年2人が 常識に挑戦し、実際に 『千本鳥居』 を数えた レポートが載っていた。
http://fleshwords.web.fc2.com/jikken/ji25/ji25_1.htm
曰く ―
      右ルートが397本、左ルートが392本、合計で789本
だと。(2010年2月21日現在)

その 『千本鳥居』 をくぐり終えると、あるのが 『おもかる石』 なるシロモノ。

おもかる石
おもかる石

灯籠の前で願い事を念じて、その灯籠の頭にある石 (『空輪』) を持ち上げたとき、感じる重さが思ったより軽かったら願い事が叶い、重かったら叶わないとする試し石で、一般に 『おもかる石』 の名で親しまれている、という。
ここも長い列。
いつ頃から始まったのか知らないが、占い好きの日本人には受けるようだ。

さらに行くと鳥居の値段表があった。

鳥居の値段表
鳥居の値段表

この種の特殊なモノの値段は とかく不明朗な感じがするが、このように明確に示されるのは気持ちがいい。
ただし、○○号がどんな大きさかわからないし、値段の後ろの「~」も気になるところだが、まぁいいや。

前に書いた 『千本鳥居』 が終わっても、鳥居の道はずーっと続く。
これが いわゆる 「お山巡り」 だ。
伏見稲荷大社は山全体が神域だ。私はこれまで 『千本鳥居』 より先の 「お山巡り」 は行ったことがなかった。
どんどん行くと、京都市内が見下ろせる場所にやってきた。
みんなここで一休み。

inari431.jpg
京都市内が見下ろせる場所

なぜ、山全体が神域となったか。
資料によると、
京都が都になる以前、この辺りには朝鮮半島から日本に渡来してきた(はた)一族が住んでいた。
8世紀の初め頃、その一族の長 秦伊侶巨(はたのいろこ)という人物が、餅を的にして矢を放った。

※ 餅はお米(稲)から作った神聖なものと考えられていた
すると、その餅が白鳥となって山に飛んで行き、そこで子を産んだ(稲が生えてきた)。
餅を的にした先祖の行為を悔い、秦氏の子孫はその山を稲荷山と呼び、稲荷神の降臨地として(まつ)った。

・・・ という話が載っていた。
なるほど、そういういわれがあったのか。

ちなみに、伏見稲荷大社のホームページによると、境内 (神域) は約26万坪 (=約87万平方メートル=京都御苑に匹敵するくらい) あるという。

鳥居の道をどんどん行くと、山頂に至った。
「お山巡り」 のピークだ。
うーん、ここが白鳥が飛んできて 子を産んだ (稲が生えてきた) 場所か。
ふつう 神域は 禁足地(きんそくち) となって立ち入り禁止。
見せない(見られない)ことで神聖さを保つものだが、ここお稲荷さんは逆で、オープンであっけらかんとしている。
奉納された鳥居が山積みされ、まるでゴミ捨て場みたいな印象だ。
※ 昔はここに(やしろ)があったが、応仁の乱で焼け、その後復興は叶わなかったという。

inari432.jpg
稲荷山の山頂

こんな山奥でも、外人の姿を見かけた。
やっぱりお稲荷さんは外人に人気があるんだ、と思った。
お山巡り を含めて約3時間のお稲荷さん参拝だった。

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お稲荷さんに来たついでに、この近くにある 「ぬりこべ地蔵」 に行った。
地図を見て行ったが地図が簡単すぎて、道がわからず地元の人(年配の女性)に聞いてみた。
「その道の先を左に行って・・・ 右に曲がって・・・  私もいま(ぬりこべ地蔵に)行ってきたとこです」 と。
やっと探し当てた。

ぬりこべ地蔵
民間信仰 ぬりこべ地蔵

歯痛にご利益(りやく)があるお地蔵さんだという。

「塗り込め」 の言葉が 「病気を封じ込める」 という意味に転じ、病気や痛み、特に 「歯の痛み」 を封じるご利益があるとされ、自然と「ぬりこべ地蔵」と呼ばれるようになったといういわれがあるそうだ。
なんだかこじつけみたいだが、江戸時代から歯痛封じの信仰があったというから、歴史は古い。

しかも、私は知らなかったが 「ぬりこべ地蔵」 はとても有名で、「京都・ぬりこべ地蔵」 で郵便物は届くという。
実際、こんなハガキもお地蔵さんの前に奉納されていた。
歯痛が治ったお礼のようだった。

nurikobe468.jpg
郵便番号はなく、住所は「京都伏見稲荷」

郵便番号もないし、住所も不十分だから、ほんとは、こんなハガキは配達されないのだろうけど、それでも配達してくれる日本の郵便システムは優秀だ。
変なところで感心した。

2015.10.4












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shochan31

Author:shochan31
名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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