適用範囲ひろがる

2017.12.5

きょうインターネットをブラウズしていたら Suica などの交通系ICカードで新幹線の自由席に乗れるようになるというニュースが出ていて思わずにっこりした。

にっこりしたには訳がある。
去年秋、交通系ICカードで新幹線の入場券を買おうとしたら、同カードは (入場券であっても) 新幹線には使えないことを知り、『人生はいつも勉強だなぁ』 と思ったことがあったからだ。

JR東日本の新しいサービス
JR東日本が新しいサービスを発表 (ITMedia NEWS のウェブページより)

それが一転して、交通系ICカードの利用範囲がひろがることになったのだ。
この新しいサービスはJR東日本がきょう発表したもので、来年4月から実施するそうだ。(出典: ITMedia NEWS)

もともと私の交通系ICカードは、当時埼玉県の東武沿線に住んでいた関係で、東武など関東地方の私鉄が共同で開発した pasmo を使っていた。
その後京都に引っ越した。
pasmo はそのときは関西圏(京阪神地方)では使えなかった。
それが関西圏の鉄道でも使えるようになり(2013年3月)、さらに 京都の市バスでも使えるようになった(2014年12月) というふうに、交通系ICカードの適用範囲が徐々にひろがり、ありがたいことだと思っていた。
ところが新幹線で使えないことがわかったので(2016年11月)失望した ・・・・・ という経緯があった。
しかし今回、交通系ICカードが新幹線でも使えるようになった、という訳だ。

きょうのJR東日本の発表では、交通系ICカードで新幹線の入場券が買えるようになったとは書かれていないし、新幹線の自由席と言っても、対象エリアは限られている。
東北新幹線の東京~那須塩原間、
上越新幹線の東京~上毛高原間、
北陸新幹線の東京~安中榛名間――の3区間

去年の(新幹線)入場券のときには、私は 『交通系ICカードはプリペイドカードで、あまりたくさんの金額が入っていないことが多いからだろうか』 なんて思ったこともあるが、今回、区間が限定されているのは多分、まずはJR東日本の管内だけでスタート―― ということだろう。

ま、いずれにしても交通系ICカードの適用範囲がひろがるのはありがたいことだ。
ついにっこりしたので、このブログを書く気になったのだった。

2017.12.5




【過去の関連記事】 交通系ICカード
朗報 pasmo が生きる (2013.3.7) 全国相互利用が始まる
京都でも やっと (2014.9.14) 京都の市バスにも使えるようになる
人生はいつも勉強 (2016.11.9) 新幹線には使えないことを知った







応仁の乱550年

2017.12.2

ことしは応仁の乱550年になるという。
京都の町を焼野が原にしてしまった戦乱が始まったのが1467年(文正(ぶんしょう)2年=応仁元年)で、ことし(2017年)はそれから550年という計算になる。

戦乱の始まりとなる 「御霊(ごりょう)合戦」 が勃発した場所がウチの近くにある上御霊神社の境内で、そこに合戦を記念する石碑が建つことになった。

きょう、石碑除幕式の会場に行ったら、やや離れた場所で 神社の宮司さんやら上京区長さんたちが順次名刺を渡してあいさつしておられる人物があった。
相当偉い人やなぁ ・・・ だれやろ、と思って近くの人に聞いてみたら、元首相の細川護煕(もりひろ)さんのご子息で細川護光(もりみつ)さんや、とソーっと耳打ちしてくれた。
応仁の乱の東側の陣(いわゆる東陣(ひがしじん))細川勝元のご子孫ということになる。

そこへひとりの紳士が現れ、和やかな会話が始まった。
また近くの人に聞いてきたら、あの方は西陣、山名宗全のご子孫で山名靖英さんやとのこと。

へぇー
550年の星霜を経て、両軍が相まみえる場面だ。

細川vs山名
細川vs山名、東西末裔が顔を合わす

さていよいよ除幕式。
京都市長の門川さんら関係者一同が綱を引くと、石碑が現れた。
最近の新しい石碑は白いことが多いが、この石碑はやや黒味を帯びて最初から貫録がある。

除幕式
除幕式

石碑には「応仁の乱発端 御霊合戦旧跡」と記されていた。
聞けば、東軍ゆかりの細川護煕氏が揮毫(きごう)されたとのこと。

現れた石碑
除幕のあとで 左:山名靖英さん、上京区の寺田市議。右:京都市の門川市長、細川護光さん

除幕式のあと記念品をいただいた。

記念品
いただいた記念品

そのあと、会場を移して呉座(ござ)勇一氏の 『応仁の乱はなぜ起こった?』 と題する講演があった。

応仁の乱の原因は日野富子が足利将軍の後継者について横車を押したとの説が流布しているが、呉座氏は、この説は応仁の乱の50年くらい後に書かれた 『応仁記』 に基づくものだと分析する。
また、当時の政治・軍事の勢力の経緯を解き明かすと結構複雑になってくる。
そこで、当時の権力者が<日野富子元凶説>の情報を提供して 『応仁記』 が成立したのではないか、という。
複雑でしちめんどくさいストーリーよりも、単純で面白いストーリーが好まれる背景のもとで、史実とは異なる 『応仁記』 が成立し、それが人口に膾炙したという見立てだ。

講演
応仁の乱の原因と経緯について呉座勇一氏が分析

単純で面白いストーリーには疑ってかかる必要がある、というのが呉座氏の結論だった。
これは現代にも通用しそうな原理なので会場にざわめきが起こった。
聴衆の多くが納得した様子だった。

ウチに帰って、除幕式にいただいた記念品を開けてみた。

記念品のお菓子
記念品のお菓子

地元西陣にある和菓子の老舗(しにせ) 『鶴屋吉信』 さんの創作菓子だった。

由緒書きには ――
応仁の乱で東西両軍が堀川と小川を挟んで対峙した。
川に見立てた水色の琥珀糖を真ん中に、柚子味の麩焼き煎餅で東軍・西軍の軍勢をあらわした。
と書かれてあった。

応仁の乱で京都は焼野が原になったというが、その後にも度々大火に見舞われ、さらには秀吉の都市改造や近世の都市開発で昔の面影は一切残っていない。
ただ、想像するのみ。
京都は 『昔を想像する』町である。

2017.12.2






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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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