これが京都の気根

2022.11.29

京都の植物園で見学会があったので、参加した。
しかし、私は、植物のいろいろよりも 『ラクウショウ(落羽松)』 という木が気になっていた。

先日、東京に行ったとき新宿御苑でこの木の存在を知り、その生態が面白かった。それが京都の植物園にもあるというので、見てみたかったのだ。
マップを頼りに探したら 『ヌマスギ(沼杉)』 という違う名で記載されていた。
一行の集団からこっそり離れて見にいったのだが、スグわかった。

沼杉
東京 の 『ラクウショウ(落羽松)』 は京都 では 『ヌマスギ(沼杉)』

私がカメラを向けていたら、通りかかった人に 「〔この木は〕メタセコイヤですか? きれいですね」 と声をかけられた。
たしかにメタセコイヤのように、葉っぱが真っ赤に紅葉していた。

沼杉

しかし、根元にあるはずの、私が期待していた 『鍾乳石のようなもの』、専門用語で 『気根(きこん)』 というらしいが、それはなかった。

沼杉

どうしたんだろ、おかしいなぁ。
新宿御苑では見事だったのに ・・・

2022.11.29

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追記 2022.11.30
腑に落ちないのでウチに帰ってきてから調べ直したら、木の根元から少し離れた池(菖蒲を育てている池)に気根が出ているというではないか。
それじゃ、それを確かめなくちゃー
ということで、もう一度植物園に行った。

あったあった。
これが京都の気根 かっ!

沼杉
これが京都の気根だ !!

こんなとこにあったのか。
きのうよく見といたら、きょう来ることもなかったのに・・・
根は遊歩道の下をくぐって伸びてきてるのだろう。

沼杉

木の下には落ちた葉っぱが降り積もっていた。

沼杉
メタセコイアに似ている


2022.11.30





説明に偽りはないが

2022.11.27

思いもよらないことが起こった。
きょう、スマホに貼ったガラスフィルムで怪我したのだ。
僅かだが血も出たし、痛みは夜になったいまも〔僅かだが〕続いている。

実は、このガラスフィルムには曰くがある ―

新しいスマホを買い替えたのが8月23日。
そのとき、スマホ表面のガラス面に傷がつかないよう、ガラスフィルムを貼ってもらうことにした。
多くの商品の中から 『傷耐久性五倍』 と書いてある、最も頼もしそうなのを選んだ。

箱裏
傷耐久性五倍を謳う商品
2,680円(消費税込み)だった。他に貼り付け費用880円(同)

ケースに 「100日間ガラス交換保証」 との記載があったので、とりあえずユーザー登録しておいた。

箱裏
100日間ガラス交換保証
本製品に割れや浮きなどの不具合が生じた場合、
ご購入日より「100日以内」に「1回」まで
ガラスフィルム本体の交換が可能です。

数日してガラスフィルムに亀裂が入った。
そこで、8月29日に状況写真を添えて交換希望した。
代替品が9月3日に郵送で届いた。

それで、スマホ店でガラスフィルムを貼り直してもらった。
そのときのやりとりを覚えている。
 「こんな簡単に割れるのですか」
店員「本体に傷がつかないよう、フィルムが先に割れてくれて本体を保護しているのです」
 「こんな簡単に割れるんやったら永久に交換可能ですね」
店員「いやいや、交換は1回限りです」
(そういえば、確かに「1回」までと書いてある)
それにしても たった数日で割れるとは・・・

ところがその数日後、また同じように亀裂が入った。
写真、上部の左の方の大きな割れ(亀裂?)だ。
もう交換保証は利かないので、カッコ悪いがそのまま使い続けた。
そしたら、きょう写真上部の右の方に小さな割れができて亀裂が走り、その小さな割れの先が私の指の皮膚を突き破ったので血が出たというわけだ。

もうこれ以上このガラスフィルムを貼っておくのは危険なので、剥がした。

亀裂
きょう剥がしたガラスフィルム

たしか 『傷耐久性五倍』 と書いてあったはずだ。
保存してあった商品説明にもう一度目を通した。
サファイアコーティング
ガラス表面にサファイアの粒をコーティングすることで
表面硬度と耐傷性を向上、割れの原因となる
微細な傷がつきにくく高硬度のガラスフィルムです。
なるほど・・・ 『傷耐久性五倍』 で 「割れの原因となる微細な傷がつきにくい」とは書いてあるが、 「ガラスフィルムが割れたり亀裂が入ったりしない」 とは書いてない。

うーむ、商品の 説明に偽りはない ようだ。
「サファイアコーティング」 のキャッチフレーズに目がくらみ、一本とられた格好だ。
それにいま気がついたが、もう 後の祭りだった。

2022.11.27







他に類を見ないお墓

2022.11.19
豊国廟 | 石段 | 阿弥陀が峰 | 豊臣秀吉
ひとつの山がひとりのお墓になっている。
それに似たものに円墳(或いは前方後円墳)があるが、その最大の仁徳天皇陵とは比較にならないくらい大きい。
尤も、仁徳天皇陵は人工の山なので、それ自体はスゴイことだが。

ひとつの山がひとりのお墓になっている ― それは、京都東山三十六峰のひとつ「阿弥陀が峰」の頂上にある豊臣秀吉の墓だ。
『豊国廟(ほうこくびょう)』 と称す。
他にこんなお墓が世界にあるのかどうか知らないが、とにかく 他に類を見ないお墓 だ。

きょうは、その「阿弥陀が峰」に登った。
京都に住んでいながら、登るのは初めてだ。
標高差 130m 程度の山である。

豊国廟
一の鳥居、あの向こうに見えるのが「阿弥陀が峰」

二の鳥居の先が平らな広場になっている。
ここは「太閤坦(たいこうだいら)」と呼ばれる広場で、このお墓が作られたとき、秀吉の遺骸は山頂に葬り(実際は酒を満たした大きな甕の中に遺骸を入れた)、ふもとのこの地に神社『豊国社(とよくにのやしろ)』を建てて秀吉を祀ったという。
秀吉が亡くなったのが1598年(慶長3年)で、その翌年に『豊国社』が創建されたが、その16年後の慶長20年(1615年)に豊臣氏は滅亡しいた。
それ以降、『豊国社』は朽ちるにまかせて消滅同然となった。
この地すなわち「太閤坦」は、朽ち果てた『豊国社』の社殿等を明治30年頃整備していまのような広場になった場所につけられた呼び名である。

豊国廟
太閤坦、かつて『豊国社』の社殿等のあった跡地の呼称

「太閤坦」の端、山頂への石段が始まる手前にあるのが「拝殿」だ。

豊国廟
「拝殿」の向こうに 山頂へ登る石段が見える

で、いよいよこれから石段を登り始める。

豊国廟

石段をただ黙々と登る。

豊国廟

63段登るごとに踊り場があった。
「63」とは何の数か。

インターネットには「秀吉の生涯 63 年にちなんで石段は 63 にした」との説があった。
しかし、秀吉の誕生は天文6年(1537年)2月6日なので、亡くなったのは「かぞえ」62歳のときだから、おかしい。

なにかからくり(・・・・)があるかもわからないと思ってさらに調べていると、秀吉は天文5年(1536年)1月1日に生まれたという異説があった。
1月1日は元旦で縁起のいい日だし、母が日吉神社に祈願して生まれたので幼名を「日吉丸」というし、日吉神社のお使いは「猿」だし、天文5年は申歳なので、「天文5年」説は創作ではないかと疑われる。
しかしこの天文5年(1536年)1月1日生まれ説に従えば、秀吉が亡くなったのは「かぞえ」63歳のときとなり、「63」は現実味を帯びてくる。

実際、「太閤坦」の「拝殿」の手前にある「神札授与所」でもらった「豊国神社参拝の栞」には「豊太閤は六十三才で薨去せられ ・・・ 」と明記されている。
だから「63」はあながち間違った数字とは言えないようだ。

豊国廟

石段を 「63段」 「63段」 「63段」 「63段」 と登ったあとは、・・・ 「61段」 となっていた。
これで合計 313段だ。

登りきると石畳があり、4段の石段と「唐門」がある。

豊国廟
唐門

その先が幅の細い石段で、最後の登りだ。

豊国廟
最後の石段

数えてみると 172段 あった。
それを登ると頂上だ。
313+4+172=489。  石段はぜんぶで489段あった。

豊国廟
頂上到着

頂上には石畳の先、玉垣に囲まれた五輪塔がある。
この五輪塔は明治30年(1897年)に新設されたもので、それ以前はここに秀吉の遺骸を入れた上述の甕が埋められていた。
その甕は 五輪塔新設工事中に不手際で壊れ(割れ)、酒は流出し、秀吉のミイラは空気に触れて崩壊したという。
慌てて遺骨を収集し、絹布に包み桐箱に納め、さらに銅櫃、石櫃に納め丁重に葬ったという。
五輪塔の下には遺骨が葬られているはずである。

豊国廟
大五輪塔

なお、この五輪塔は伊東忠太の設計(デザイン)によるという。
しかし、五輪塔は誰が設計しても(誰がデザインしても)同じカタチの五輪塔で、寸法が違うだけだ。
伊東忠太は、自分のアイデアが生かせずホゾ(臍)をかんだことだろう。
この五輪塔、インターネット等どこにも 「高さ10m」 とあるが、そんなにあるようには思えなかった。

さて、山頂、五輪塔の玉垣の北側の茂みの間からは国宝「清水の舞台」が真正面に見えて感激した。

豊国廟

「清水の舞台」だけでなく、その左に続く諸堂、三重塔、西門 ・・・ と 清水寺 の全貌が眺められるではないか。

地図を照合すると、〔清水寺の〕西門の先には 高台寺 があるはずだ。
以前 高台寺の霊屋(おたまや)に行ったときの記事に
霊屋は秀吉のお墓がある 阿弥陀が峯 の方を向いて建てられている、という。
いまは木立(こだち)で見えないが、阿弥陀が峯 は指呼の間だから、創建当時はここから見えたのだろう。
と書いたことがあった。(記事は こちら

あのときは高台寺から阿弥陀が峰を望んだが、きょうは逆に阿弥陀が峰から高台寺を望んでいるのだ。

豊国廟

きょうは、〔多分〕 世界に他に類例を見ないと思われるお墓、つまり阿弥陀が峰に初めて登ったが、標高差 130m 程度なので、苦もなく登れた。

2022.11.19




いわれるままに

2022.11.15

ここ数年、世の中は コロナ コロナ で鬱屈した日々が続いている。

まぁ、風邪の一種だというが、なにがなんだかわからない
そもそも コロナ コロナ というが、病原菌(ウイルス)を電子顕微鏡で覗くと、形が王冠のように見えるので、「冠」を意味するラテン語 corona にちなんで名づけられたというらしい。
誰も電子顕微鏡など覗いてないが、形が王冠のように見えるというのをいわれるままに信じている。
信じなければ変人扱いされる。
その病原菌がもとで発症する病気の名前が「新型コロナウイルス感染症」で、略して「コロナ」という訳だ。

細かい医学的な(科学的な)ことはわからないし、病原菌(ウイルス)は空気を媒介にして拡散する、つまり感染する〔らしい〕というので、いわれるままにマスクをしている。
そのコロナの病原菌(ウイルス)だが、いろんな種類、変異株というらしいが、アルファから始まってベータ、ガンマ ・・・ とすすみデルタかと思いきや「オミクロン」だって。
しかも BA5型だのなんたら型だの、皆目わからない。
果たしてどれだけの人がウイルスの種類(変異株?)を理解しているのか。

「新型コロナウイルス感染症」にかからないために、あるいはかかっても重症にならないために、「ワクチン」が有効らしいことはわかる。
私は国の方針に従い、いわれるままにワクチン接種し、それも4回すませた。

こんどはオミクロン株に対応した5回目のワクチン接種だという。
医療行政者と医療従事者のご苦労を思うと頭が下がる。

予告
9月に出た予告

そして、先日「接種券」が郵送されてきた。

接種券
今月上旬に郵送されてきた「接種券」

見れば、過去4回の接種記録が具体的に明記されているのに驚いた。
多分、個人情報をコンピューターで正確にキッチリ記録・管理され、今回の5回目の「接種券」となったことがわかる。
医療行政者のご苦労を思うと、ほんとうに頭が下がる。

それには感心するんだが、近くのかかりつけの医院の先生に「5回目のワクチン、したほうがいいのですか?」と聞いたら「もちろん、してください」と。
そしてきょう〔11月15日〕、いわれるままに 〔新型コロナウイルス感染症の病原菌の変異種〕オミクロン株対応のワクチン接種を終えた。
何ごとも いわれるままに ・・・ まったく、主体性のない話だ。(笑)

2022.11.15




【過去の関連記事】 コロナ禍
まぁいいかっ(2020.5.25) 「緊急事態宣言」が解除されお店が再開! 面白い英語表現でもまぁいいかっ
着けててよかった(2020.11.28) マスクを着けてない人に対し入店拒否に驚いたが、ことなきを得た
コロナ禍が収束か(2021.2.3) 国内の新規感染者数が1日1000人を下回ってコロナ禍が収束か
コロナとは何者か(2021.8.4) 国内の新規感染者数が1日2万人を超える
数字が爆発する(2022.2.2) 国内の新規感染者数が1日8万人を超える
驚きを越して不感症(2022.7.24) 国内の新規感染者数が1日20万人を超えたが不感症
いわれるままに(2022.11.15) いわれるままに5回目のワクチン接種を終えたが、主体性のない話だ









鍾乳石のようなもの

2022.11.12

きょう、久方ぶりに東京に行くことがあった。
約束の時間までにちょっと時間があったので、新宿御苑で時間をつぶした。
桜の古木が多く、桜の頃は見応えがあるだろうなと思った。

起伏があり、低地には池があるという 広大な公園だ。
面積、58 ha という。
日比谷公園が 16 ha 、二条城は 26 ha というから、相当なもんだ。
江戸時代、この広大な土地は 『信濃高遠藩内藤家の下屋敷』 だったという。
『下屋敷』 ってよく聞くが、どんなもんか調べてみると 『本邸である上屋敷に対し、別邸』 だという。

新宿御苑
ニューヨーク、エンパイヤステートビル風のNTTドコモ代々木ビルがみえる

信濃高遠藩は3万3千石というからそんなに大きな藩ではない。
その高遠藩の本邸が神田小川町(おがわまち)にあり、別邸がここにあったというのだ。
本邸より別邸の方が大きいのかどうかわからないが、そんな小藩の別邸にしては広大な土地だなぁ。

この調子なら、江戸の町は藩邸だらけだったろうなぁ~ と思いながら歩いていたら 地面から 鍾乳石のようなもの がニョキニョキあるではないか。

落羽松

こりゃ何や?

落羽松

見あげるとメタセコイヤ(曙杉)みたいな巨木で、

落羽松

紅葉がはじまっていた。

落羽松

こちらは葉っぱのクローズアップ。 (

落羽松

この辺り、この木が群生していた。

落羽松

果してこの木は ・・・?
『ラクウショウ』 というらしいが、聞いたことない名前だし、そもそも発音しにくい。
・・・ と思って読み進むと、落羽松 だという。
それなら発音できるわ。

落羽松
現地にあった説明板

『落羽松』 というから松の仲間かと思いきや、『スギ科の落葉針葉樹』 だそうだ。

それで、いろいろ調べてたら、ペリーがもたらしたラクウショウの大木が〔東京郊外〕狛江(こまえ)にあり、現地では 『ペルリ提督来航記念樹』 と名づけられているという。(註: ペリーはむかし ペルリとも言った)

面白そうな話なので更に調べると ・・・

ペリーは嘉永6年(1853年)に浦賀に来た。有名な 『黒船来航』 だ。
ペリーそのとき、ペリーは大老井伊直弼にラクウショウの植木を奉呈したという。(東京府「郷土概観」昭和13年発行、狛江村 p.10)(市史研究 狛江 第7号に収録)
ペリーは なかなか用意周到だ。
そのラクウショウの大木が、いま狛江の石井さんというおウチの庭にあるという。(場所は狛江市田中橋という交差点の南方らしい)
その石井家というのは、井伊直弼の祐筆(いまでいう秘書役のようなもの)、石井伝左衛門の子孫の家で、石井家の人(人物は特定できず)が彦根藩井伊家の上屋敷(場所は国会前庭・北庭~憲政記念館がある高台にあった)の庭先にあった鉢植えの木を貰い受けて育てたらしい。

しかし、我が国にもたらされたのは 「植木」 ではなく 「種子」 だったのでは、との説もある。(松本庸夫:ラクウショウ伝来の由来、我孫子の景観を育てる会会報「景観あびこ」17号 p.2、(2006.1.21発行、千葉県))
ペリーは翌年(嘉永7年)にも我が国にやって来て 『日米和親条約』 を調印しているが、上記の松本氏は、ペリーの幕府へ(井伊直弼へ?)への公式な献上品リストには〔農業用種子の記載はあるが〕ラクウショウの種は含まれていないとしつつも、そのとき献上品として持ってきたのではないかと推測する。
ただ、その「種子」のその後の足どりが確認できないが、上記松本氏によると、『当時幕府が管理していた小石川の薬草園で発芽させたのではないかと想像した。そこで小石川植物園を訪ねた。池のほとりに〔ラクウショウの〕大木が在ったが、古い資料は戦災で失われたそうで、由来に関する手がかりは得られなかった。』 としている。

真実は闇の中だが興味深い。

2022.11.12

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追記 2022.11.30
京都の植物園にも 『落羽松(ラクウショウ)』 があることがわかったので見に行った。
最初行ったときには 「気根」 を見落とし、翌日もう一度見に行くはめになった話が こちら にある。





これが円安の源泉か

2022.11.11

あした、以前勤めていた東京の会社の同窓会がある。
参加費が必要なので ATMで 8,000円おろした。
(会費は6,000円だが、ちょっと余裕をもって多い目におろした。)

すると、新札で出てきた。

千円札

ひぇー。
新札のたとえに 「手の切れるような」 という表現があるが、まさにそのとおり。
あんまりきれいなので使いにくい。
でも、あした会費として払わないといけないから、ま、仕方ないか。
新札もいずれかは誰かに使われ、やがて折り目もつくのだろう。

ここ数日は円高だが、過去数か月円安だった。【註、下のグラフ参照】
ATMから出てきたのが新札だったので即座に "円安の源泉はこれか !! " と思った。
インフレになり、円安になっている日本経済を身近に感じた一瞬だった。

2022.11.11



【註】 ここ数か月円安だった状況。1ドル=円
為替





信長も見た月蝕 ?!

2022.11.8

午後6時過ぎ、知人からLINEで 「いま お月さんか欠けはじめています」 との連絡があった。
ん? それらしいいことをテレビで言ってたな・・・  あっ 月蝕だ ! と思い、すぐ外に出た。

数日前から、満月が近いのは知っていた。
きょうは満月なんだ ・・・
それがこんなに欠けている。
月蝕はすでに始まっていた。
さっそくスマホで撮影。 (

月蝕
2022.11.8 18:30 PM

ほかの人も道路に出てきている。
スマホで撮影したり、双眼鏡で覗く親子もいた。
こんな天文現象も結構関心高いんだ。

LINEで知らせてくれた人から 「織田信長も見たとテレビで言っていました」 との連絡が来た。
へぇー、信長公記かなにかに書かれているのか。
まぁ、月蝕はそんなに珍しくないからな。

・・・ と思ってインターネットで調べたら、なんと
きょうの月食は、その最中に、天王星が月のうしろに隠れる 「天王星食」 もあるという。
つまり、太陽、地球、月、天王星が一直線に並ぶのだそうだ。
そして、
このように 皆既月食と同時に惑星が隠れる「惑星食」が起きるのは非常に珍しく、1580年以来、442年ぶり となる。
とのこと。〔: 西暦1580年にあった「惑星食」は太陽、地球、月、土星が一直線に並んだんだそうで、天王星ではなかったそうだ〕
多分、計算でそんなことが言えるんだと思うが、そんなことを計算する天文学ってすごい学問だ。

なぁーんだ。
織田信長も〔この月蝕を〕見たんではなく、
織田信長も見たかもしれない、ということらしい。
本能寺の変が1582年だから、1580年はその2年前ということになる。

蝕は徐々に進んでくると、月は中天高く進み小さくなってきた。
食の最大は19時59分という。

月蝕
2022.11.8 19:56 PM

月の部分だけを拡大すると (

月蝕

これじゃ画質がよくないので、ライブ中継しているインターネットブラウザーで見たのがこちら。 (

月蝕
2022.11.8 19:59 PM

赤銅色で綺麗だというが、私は色覚異常なので、悲しいかな実感がわかなかった。

2022.11.8







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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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