奇妙に剪定された木

2023.2.28

きょう、京都御苑を歩いていたら奇妙なものに出会った
見ればすぐわかる。
小枝が切られて幹だけになった松の木だ。

松

通常の 〔生命力を維持し、樹形を整える〕 剪定ではなさそだ。
枯れた小枝を切り詰めたら こんな形になったのだろうが、なんかのモニュメントみたいだ。
意図してこんな幾何学的な形にしたのだろうか。

最近、京都御苑では根元から切られる木が多いが、そうならなかったところを見ると、この松は生き返る望みがあるのだろう。

松

実際、太い幹は生きているみたいだ。

松

足元には、枝を切り落としたときの "木くず" らしいものが散乱していた。

松

つい最近切られたようだ。
付近には盛られた松葉の山もあった。

京都御苑の植栽には似つかわしくない 〔と思われる〕 形のものが出現したものだ。
でもそのうち、京都御苑の名所になるかもわからない。(笑)

2023.2.28






五大力さんから力を

2023.2.23

けさの新聞に 『五大力さん』 開催の広告が出ていたので、醍醐寺に行った。
ふつう 『五大力さん』 といっているが、正式には 「五大力尊 仁王会(にんのうえ)」 というんだそうだ。
京都では有名な年中行事だが、私が行くのは生まれて初めてだ。
お寺では、カラフルな幟(のぼり)が迎えてくれた。

醍醐寺

この 『五大力さん』 でいただけるお札、〔五大力尊の〕『御影(おみえ・みえい)』 は、愛宕神社の 『火迺要慎(ひのようじん)』 とともに 京都では各家に貼られるとてもポピュラーなお札だ。

禱符

盗難・災難除けに霊験あらたかな 『御影』 はウチにも玄関に貼っていたが、古くなったので新しいのをいただくいい機会だった。

醍醐寺

「五大力尊 仁王会」 という法要は延喜7年(907)に始まったそうで、1100年以上連綿として続けられてきたというから驚きだ。
その法要のひとつに、巨大な紅白の鏡餅を持ち上げる 「餅上げ力奉納」 も行われる。

醍醐寺

それで、「五大力尊 仁王会」 の前に 「餅上げ力奉納」 を見物することにした。
註: 「餅上げ力奉納」 は1100年の伝統はないと思うけど、いつから始まった行事なのか不明なり

金堂前の舞台ではまず女性の部から始まった。
女性は重さ90kgの鏡餅を持ち上げるものだが、5分間持ち上げ続けた人が12人中4人もいた。
腕の力のさることながら、腰が丈夫でないとうまくいかんようだ。

餅上げ

男性の部のお餅の 重さは150kg。
14年連続奉納しているという男性には、報道各社のカメラがズラリ放列を敷いた。
男性は全部で 11人登場したが、5分間持ち上げ続けることできたのはこの人だけだった。

餅上げ

見終わっていよいよ、「五大力尊 仁王会」 が執り行われている金堂の特別参拝に向かった。
長い行列ができていた。

行列

聞くと、五大力尊の宝剣を直接握り、直接力を授かることができる滅多に行われない機会なのだそうだ。
堂内では 「五大力尊 仁王会」 が執行(しゅぎょう)されていた。

金堂
厳粛な 五大力尊(ごだいりきそん) 仁王会(にんのうえ)

この建物は国宝だが、堂内では太いロウソクが何本も点されていた。
普通、国宝建造物では火気厳禁だと思うが、やはり伝統ある法要なので特別に認められたのだろうか。
ご本尊の前に置かれた五大明王像(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)とを紐で結んだ宝剣を一人ずつ直接握らせてもらい、お坊さんにご祈祷してもらった。
金堂へあげてもらうのに長い行列ができていたのは、一人ずつ丁寧にご祈祷してもらえるので時間かかかるせいだとわかった。

五大力さんから 「力」 を授かったあと、いただいた 〔五大力尊の〕『御影』 に護摩の煙をかけてもらって完了。

護摩道場
護摩道場

京都最古の建造物、五重塔を見て、きょうの 『五大力さん』 を終了した。

五重塔

きょうの私は、醍醐寺で 五大力さんから 「力」 をもらう の巻でした。

2023.2.23



【過去の関連記事】 見て歩る記 京都編(京都府も含む)
 ただし、2019年以降。

五大力さんから力を(2023.2.28) 醍醐寺
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猪はことしの干支(2019.1.6) 護王神社
デジタルサイネージ(2019.1.3) 伏見稲荷大社

 2018~2015年はこちら
 2015年以前はこちら






痛みの原因はなにか

2023.2.20

きょう、近くの総合病院の整形外科を受けた。

実は、最近、夜寝ていると腕(上腕部)がじーんじーんと猛烈に痛む。
痛くて寝られない。(昼間は気にならない)
服を着たりするときには痛くて手を後ろにまわせない。
よく思いせないが、去年暮れごろから痛みを覚ているように思う。
そのうち消えるだろとタカをくくっていたが、なかなか治らない。
そこでインターネットを見ていたら、SIRVA(シルバ)といって コロナワクチン接種に伴う副反応として 肩から上腕部の痛みを訴える人が多いというサイトがいくつもあった。
SIRVA とは、Shoulder Injury Related Vaccine Administration の頭文字で、ズバリの症状名だ。

思えば、5回目のコロナワクチン接種を受けたのは去年11月。
私の上腕部の痛み 〔の原因〕 はこれかっ ?!

と思って、京都で有名な (いい医者として評判で、患者であふれているという) 整形外科に電話して聞いてみた。
「シルバについて相談に乗っていただけますか?」
えっ?と聞き返されたので 「コロナワクチン接種に伴う副反応です、云々」 と説明したら、ちょっと待ってくださいと言われた。
誰か、詳しい人に聞いているみたいだった。
しばらくして回答があった。「ウチではコロナの治療は行っておりません」
こりゃあかん。
SIRVA はそんなに知られていない病気(症状)なのか。

そこでかかりつけ医に相談した。
一応は患部 (肩から上腕部) を見たうえで、「わからん」という返事。
「〔コロナワクチン接種の〕注射の部位は間違ってなかった」 と弁明を始めた。
医者は医療過誤で訴えられるのを予防しているように思えたので、私は 「いや、注射のやり方が悪かったとクレームをつけてるわけじゃないんですよ」 と云ったが、気まずい雰囲気になった。
「私と同じように肩から上腕部の痛みを訴える人は〔ほかに〕おられませんか」 と聞くと 「ない」 との素気ない返事。
「SIRVA は知らん」 「紹介状を書くから整形外科に行ったらどうか」 という。

インターネットにはSIRVA の情報が溢れてるのに、整形外科もかかりつけ医も知らないらしい。
私の肩から上腕部の痛みの原因はなにか

前置きが長くなったが、それできょうは、整形外科を受けに来たというわけだ。

病院では、受診のまえにレントゲンを撮るように云われた。
〔私の腕の痛みは〕 レントゲンでわかるようなもんじゃないと思ったが、医者としては 「病因を見逃した」 とのそしりを受けないために一応レントゲンを撮っておくんだろう と自分に言い聞かせてレントゲンを撮ってもらった。

医者はレントゲン写真を前に「〔肩から上腕部に〕異常はない」 という。
この医者は SIRVA は知っているらしかったが、「〔SIRVA かどうかは〕 MRIを撮ってみなわからんが、発症前のMRIと発症後のMRIを比較せなわからん」 とのことで、いまMRIを撮っても判断のしようがないという。

結局は「〔私の〕加齢のせいじゃないか」 との診断で 「鎮痛剤を出しときましょ」 とのことだった。

「鎮痛剤(飲み薬)は全身にまわるので、患部に効くとは限らんでしょ」 と聞いてみた。
そしたら 「強力な貼り薬も出しょ」 と言われた。
ま、貼り薬なら患部に貼るわけだから直接効きそうだ。

薬
処方された鎮痛剤

鎮痛剤(カロナール)は毎食後、1日3回。貼り薬(=経皮吸収型鎮痛消炎剤)寝る前1回。

対症療法だが、これで様子を見るしか仕方ないのか。
痛みの原因はとかくやっかいだ。
やれやれ。

2023.2.20








スペイン風邪の記憶

2023.2.5

去年から、京都市内の或る神社で古文書の整理のお手伝いをしている。
古文書と言っても平安、鎌倉といった頃のものではなく、せいぜい江戸末期、ほとんどは明治、大正、戦前の昭和期のものだ。

きょう整理をしていたら、文書の中に 「流行性感冒ニ關スル注意」 という印刷物があった。
見てスグ 「あっこれ、あのスペイン風邪のときのモンと違うやろか?」 とピーンときた。
スペイン風邪は100年前、いまのコロナのように世界を席巻したことはよく知られている。

文書
「流行性感冒ニ關スル注意」

それで、手元にあったカメラで撮らせてもらった。

文書に日付がないので、その前にとじ込んである文書を見たら 大正九年一月十日 とある。
スペイン風邪がはやったのは確かその頃だ。

文書
衛生組長宛添え書き

衛生組長宛となっているのは、この神社がこの周辺地区の「公同衛生組合」の事務所になっていた関係で、この神社の文書綴りに残っていたらしい。

読んでみた ―

衛乙第二一号
大正九年一月十日
京都市上京區役所
衛生組長殿
流行性感冒愈々激甚ナラントスルノ状況ニ有之(これあり)候条(そうろうじょう)別紙注意書至急各戸々無洩(もれなく)回覧ノ上充分徹底候様(そうろうよう)御取斗(おとりはからい)相煩度(あいわずらわしたく)候也


なかなか丁寧な文体である。
この頃でも區役所からの通達は「候文」なのに感じ入る。

いま、令和の世は 新型コロナウイルス感染症に悩まされており、マスクを着用し「三密」を避けるよう、口酸っぱく言われているが、当時はどんなことに注意するよう書かれていたのか、興味津々で読んでみた。

文書

流行性感冒ニ關スル注意

此の病気は病人に接触したり又は談話の際或は病室の塵埃(ちり)を吸ふことに因つて感染するものである、即ち病人が咳や嚏(くしやみ)をする場合には眼に見えない程微細(こまかい)な泡沫(とばしり)が三、四尺周圍(まはり)に吹き飛ばされ夫(それ)を吸込んだ者は直(すぐ)に病氣となる、又一度病氣に罹つて治つた人も當分の間は鼻の奥や咽喉(のど)に此の病毒(どく)が殘つて居り、其他一見(みたところ)健康(たつしや)な人の中にも病毒(どく)を保有(もつて)して居る者があるのだから、是等(これら)の人の咳や嚏(くしやみ)の泡沫(とばしり)も病人同様(おなじく)危險(あぶない)である故に一般(これを)豫防(ふせぐ)方法としては

第一 病人または病人らしき人に近寄らぬこと、見舞は必ず玄關ですまし決して病室内(びようしつのなか)に立入(はい)つてはならぬ、

第二 多人數(たくさんのひとの)の群衆(あつまつて)せる場所は屡々病毒(やまひ)傳播の媒介所(なかだちどころ)となるのであるから、芝居、寄席、活動寫眞其他(そのほか)の集会(よりあひ)に行(ゆ)くことを避け、又急用(いそぎ)でない限(ときは)り人込(ひとごみ)の電車汽車等(など)にはのらぬ方が安全である、止むを得ずして斯(かゝ)る群衆(ひとより)密居の場所に立入(ゆく)る時は呼吸保護器(ガーゼマスケ)をかけるか、鼻口を「ハンケチ」で輕く被(お)ふた方がよい、

第三 家屋(いへのなか)殊に居室(ゐま)、寢室(ねるへや)は其際(このさい)特に淸潔(きれい)に掃除し、空氣の流通と光線の射入(はいる)とを圖ることを怠つてはならぬ、

罹病後(やまひにかゝつたとき)の注意(ちうい)としては

第四 發熱(ねつ)と同時に感冒の徴候(もよう)があつたら直ぐ家族より隔離して安臥(しづかにね)させ速(はや)に醫師(いしや)の診療(てあて)を乞はねばならぬ、

第五 病人の唾痰(つばたん)は之を紙片(かみきれ)又は痰壺(たんつぼ)に取り直ぐ焼却(やく)するか若くは便壺内(べんじよ)に放棄(すてる)すること、布片(ぬのきれ)を用ゐたる場合は一定の容器(いれもの)に保留(あつめ)し熱湯(に江ゆ)消毒(せうどく)をなすこと、

第六 病人の使用(つかつた)した被服(きもの)、夜具(ふとん)及び器具(しなもの)等(など)は之を一定(ひとつ)の場所(ところ)に纏め置き、外氣中(いへのそと)に少くとも五、六時間以上日光(おひいさんに)に曝すか又は消毒法を施(な)すこと、

第七 看護人(つきそひ)の外(ほか)病室内(ひやうしつ)に出入(ではいり)せざること、殊に兒童(こども)の出入(ではいり)は病毒(どく)を所々に散亂(ちらす)せしむる危険がある、

第八 看護人は呼吸保護器をかけ屡々(とき〴)微温(ぬるまゆ)にて含漱(うがひ)すること、

第九 病氣が治つたと思ふても醫師(いしや)の許可(ゆるし)ある迄は外出(そとにでゝ)してはならぬこと、

京都市役所

なるほど、いまのコロナ対策によく似ているが、より厳しい箇所もある。
やさしい表現に加えて独特のルビを打っているのが微笑ましい。
〔注意の〕「第二」でマスクのことを「呼吸保護器」と呼び、読みを「ガーゼマスケ」としているところは100年の時代の隔たりを感じた。
(いまの「ハンカチ」も この文書では「ハンケチ」となっているから、当時は「ク」を「ケ」と書く風習があったらしい)(笑)

念のため当時のことを調べてみると ―
スペイン風邪は
1918年(大正7年)8月に日本上陸、1921年(大正10年)3月にかけて大流行が三波あり、
当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。

一方、今回の新型コロナウイルス感染症では
2020年(令和2年)1月に日本上陸、現在(2023年(令和5年)2月現在)まで流行が八波あり、
人口1億2500万人に対し約3280万人(人口比:約26%)が感染、約7万人が死亡したとされる。

大正時代当時と比べて、いまは問題にならないくらい人権と健康意識が高揚しているので、単純には比較できないが、スペイン風邪は当時の大きな社会現象だったことは十分わかる。

古文書を熟読し、100年前にしばらくタイムスリップした私だった。

2023.2.5








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shochan31

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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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