拾っていいですよ

2023.11.23

けさの新聞に 「ギンナン 拾っていいの?」 という見出しの記事が載っていた。
この季節、ぎんなんを拾っている人をよく見かけるので関心をそそられた。

記事
© 京都新聞 2023.11.23 朝刊 p.17 地域面


副見出しに 「占有地、木から取れば窃盗罪」 とある。
そりゃ当然だろ。

じゃぁ、落ちてるぎんなんを拾ろても罪になるのか?

記事

紙面によれば (京都市役所の場合)『公道に落ちている場合は市の占有が及ばないと考えること "も" できる』 とあいまいな表現だ。
一概に判断できないということらしい。
しかし、(公道や公園を管理する) 京都市みどり政策推進室は 『歩道に落ちた実は、樹木の所有者(=京都市)の所有物となる』 というから、窃盗罪との判断らしい。
大阪でも同様で、『基本的に市の財産』 とのことだ。

記事

市が財産権を維持するから問題となるので、あいまいなまま放置するのは却って罪つくりだ。
しかも 「(拾うのを)黙認する」 程度ではこっちの気分が晴れない。
市がその方針を明確にしたら市民はスッキリする。
いっそ 「落ちた実は財産権を放棄する」 とオフィシャルに宣言したらどうか。

ただし、そうなれば営利目的で(販売目的に)大量に拾い集める輩が出てきそうだから、営利目的だけ禁止して、個人の使用(食用)に供するもので、例えば一人5kg 以内をめどに、などの条件を設けたらいい。

実際この季節、公園でぎんなんを拾っている人をよく見かける。
もちろん、人の占有物を窃盗しているなんて微塵も思ってないだろう。

ぎんなん拾い

そんな人のためにも、「落ちた実は財産権を放棄する」 ので 「安心して 拾っていいですよ」 くらい云ってあげるのが親切というものだろう。

2023.11.23







危険な へそ曲がり

2023.11.13

いま 「エスカレーターでは歩くな!」 というのが常識となっている。

むかしはエスカレーターに乗ったときは、片側を通路にあけてたものだ。
だから急ぐ時など スイスイと歩けて快適だった。

例えばこれ、私が1989年1月に初めてロンドンに行ったときに見た光景だ。
地下鉄のエスカレーターの乗り口には 「PLEASE STAND ON THE RIGHT」 と大きく書いてあった。

ロンドンチューブ
これが当時の常識  (1989.1.8)

ひるがえってわか国でも、関西では、右側に立って左側を通路に開ける習慣(風習)があった。
どういう訳か、関東では逆に、左側に立って右側を通路に開ける習慣(風習)があったが、(下の写真 ↓ 写真をクリックすると当時の記事が読めます) いずれにしても、エスカレーターでは片側に立って、うしろからくる人に道をあけるのが 当時のマナーであり、常識だった。

京都駅エスカレータ
JR京都駅での風景
 (2012.8.1)

それから更に十余年、いまや 「エスカレーターでは歩くな!」 と声高に叫ばれるようになった。(ロンドンではどうなってるんだろ)

理由は、(歩いて) コケると危ないということらしい。
しかし私は危険を省みず、エスカレーターで歩いている。
私は "危険な へそ曲がり" だなぁと自省しているが、これだけは止(や)められない。


きょう、近所の左京区総合庁舎に行ったらこんなポスターが貼ってあった。
エスカレーターに乗ったら 歩かず立ち止まるのがマナーだと訴えていた。

掲示
きょう左京区総合庁舎で  (2023.11.13)

ポスターの下にある小さな文字を読むと、『右手を開けているエスカレーターでは、左手麻痺の方は左の手すりを持つことが出来ません』 とある。
そりゃそーだろ。だったら右側に立ったらいいのではないか。

『また立つことが不安定な方は横を勢いよく歩かれるとバランスを崩しやすくなります』
それは、エスカレーターの場合だけじゃないだろ。

掲示

京都府理学療法士会の(弱者にもご理解を)という気持ちはよくわかるが、急いでいる人の(歩きたい)という気持ちはどうなるのか。

斯く云う私も赤緑色弱で、社会生活上困ることは多い。
お互いさまだ。
きょうも私はエスカレーターでは歩いている。
尤も、歩くスペースがある場合だけで、「そこのけそこのけ」 と歩くわけでないことは多言を要しない。

2023.11.13






植民地時代を思う

2023.11.11

久しぶりに東京に行く機会があったので、ついでに目黒の(※)東京都庭園美術館に立ち寄った。
(※ JR目黒駅の近所だが、実際は港区白金台という所にある)

もとの朝香宮邸の内部を美術館として公開し、同時に庭園も開放しているので "庭園美術館" と名づけられたらしい。
この "庭園美術館" がオープンして10月1日に40周年を迎えたというから、そんな節目に訪れることができたのはラッキーだった。

この旧朝香宮邸は当時ヨーロッパで流行していたアール・デコ装飾を取り入れて昭和8年に建てられたという。

朝香宮邸

朝香宮邸

40周年を記念して、邸内には当時の美術工芸品などが展示されていたが、その中で私が注目したのは 当時の このポスターだった。

植民地博

Exposition Coloniale Internationale, Paris 1931
1931年(昭和6年)にパリで開催された国際植民地博覧会のものだ。

植民地博

見れば4人の顔が描かれている。
うしろ、白い布をまとっているのはアラブ人だろう。
その手前右は黒人だからアフリカ人。その左は黒髪と褐色の肌なのでアジア人か。
手前はアオザイをかぶる女性で、ベトナム人。
(ベトナムは当時フランスの植民地だったから、正面にもってきて強調してるのだろうか)

肌の白いヨーロッパ人から見れば非白人は "エキゾチック" そのものだ。
この博覧会は、そんな "エキゾチック" な文物を展示して興味を引いたものと思われる。
私も黒髪と褐色の肌をもつアジア人のひとりなので、画家はこのポスターを好奇の目で描いたのか、差別の目で描いたのか気になるところだ。
まさか、動物園(zoo)のポスターではないだろう。

植民地 coloniale コロニアル。
いまや 「コロニアル(植民地)」 は死語だと思うが、15世紀ころの 「大航海時代」 以降 「植民地」 は世界を席巻したのだ。
このポスターを見た私の頭の中は、黒人奴隷貿易、プランテーションによる搾取、ベトナム戦争の悲劇 ・・・・ 人類の暗黒史が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

高杉晋作さらに私の連想は続く ・・・・
15世紀以降、アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアと、地球全体が欧州先進国の植民地となった。
いや、いまも続いていると見ることもできる。
しかし我が国は豊臣秀吉や徳川幕府の賢明な判断で、幸い欧州先進国の餌食にならずに済んだ。
あっそうそう、幕末のときも危うかった。

文久3年(1863)長州軍がアメリカ船を打ち払った報復として、長州軍はアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊に下関を攻められ降参した。
イギリスとの停戦交渉のとき、イギリスは彦島の租借を要求したが、長州側交渉役の 高杉晋作 はそらんじていた古事記の文章を滔々と謳いあげてイギリス側を煙(ケム)に巻き、租借をあきらめさせたというエピソードを思い出した。(異説もあるらしいが)

もしあのとき彦島がイギリスの租借地になっていたら、わが国はアヘン戦争に負けて植民地になった中国の轍を踏んでいたかもわからない。

この 「植民地博」 のポスターを見てこんなことまで思ったが ・・・・ 想像がたくましすぎたようだった。(笑)

写真は上野彦馬という写真師が慶応2年(1866)に長崎の「上野撮影局(写真館)」で撮影した高杉晋作の肖像(鶏卵紙)

2023.11.11










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Author:shochan31
名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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