目にしみる緑

2014.5.6

桜が終わり、きのうは暦の上では「立夏」だった。
新緑の緑が目に()みる頃である。

きょうちょっと外出したついでに東福寺というお寺にまで足を延ばした。

東福寺は秋の紅葉の名所で、とくに「通天橋(つうてんきょう)」付近の紅葉は有名だ。
きょうは駐車場に車を停めた関係で、「臥雲橋(がうんきょう)」という橋を通って東福寺に行くことになったが、その「臥雲橋」から「通天橋」が見えた。
一面新緑のモミジだ。


向うに「通天橋」が見える
こちらは一般道としても使われている「臥雲橋」

紅く染まった紅葉も見ごたえがあるが、新緑も捨てたもんじゃない。
『新緑が目に染みる』とはいうが、なぜか紅葉が目に染みるとは言わないナ・・・ そんなことを思いながらゆったりと新緑を楽しんだ。空気もうまい。

この「臥雲橋」はすでに東福寺の境内らしいが、一般道としても使われているらしく、バイクや自転車も通れるようになっていて驚いた。
これが国の「重要文化財」だとか。
近くに迂回路がないので一般の通行も認められているのだろうが、ぜいたくな道路だ。

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境内に入ると大きな三門があった。
いまちょうど一般公開で上に登れるというので登ってみた。(一般公開はきょうが最後だとか。)
京都には知恩院、南禅寺、大徳寺など三門(山門)がありときどき一般公開されているが、どれも一度も登ったことがなかった。

貰ったパンフレットに「禅宗最大の三門」とあるだけあって、大きい。
上層は広い空間となっている。
柱はとても太く、梁はとても大きい。
室町時代に再建されたのが今に伝わっており「禅宗現存最古の三門」だそうだ。
説明では、このように太く大きな柱や梁は平安・鎌倉期までに採りつくされ、室町時代になると手に入りにくくなったそうで、この東福寺の三門の木材は東北地方のものだという。

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国宝の三門の階上でお寺のガイドさんの説明を聞く

『木は大きくなるまで何百年もかかるので、木を伐採したらあとの補充が利かない』との説明は説得力があった。

安土桃山時代、豊臣秀吉が京都に大仏殿を作るとき日本全国から大木を集めさせた話を思い出した。
そのときにはどれだけ材木が集まったか知らないが、「そのせいで日本全国に大木が無くなった」「大仏殿ができて間もなく京都に大地震があった。そのとき大仏は壊れたが大仏殿はビクともしなかった」そうだ。

閑話休題。三門の天井や梁には絵の装飾が残っており、仏壇には釈迦如来や十六羅漢像など立派な仏像が安置され、いずれも室町時代のものがそのまま残っていて「禅宗最優の三門」だそうだ。
お寺のガイドさんが分かり易く上手に説明された。

この三門は国宝だという。
そんなもったいない建造物の上に登らせてもらって恐縮した。

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さてそのお寺のガイドさんの説明の中で印象に残ったエピソードをひとつ。

この三門を再建したのが室町幕府の第4代将軍・足利義持(よしもち)公。
当時東福寺には吉山明兆(きつさん みんちょう或いはきちざん みんちょう)という画僧がいたという。
画僧というのは寺院専属の画家を言うらしい。
当時の東福寺はすでに桜の名所として知られていたらしいが、将軍義持が明兆に望みを問うたところ、「境内に桜の木があると遊興の場になり修行の妨げになる」と言って、義持に桜の木を切るよう所望したという。それで桜の代わりに楓の木が植えられ、東福寺は天下の楓の名所になった、という。

へぇー 感銘深いエピソードだった。

当時から桜の花は人の心を迷わせるものであったらしい。

2014.5.6











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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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