火事は江戸の華だが

2014.7.21

京都はいま祇園(ぎおん)祭が行われている。

疫病退散を祈願するため9世紀(平安時代)に始まった祭りで、以来1150年の伝統がある。
のちに京都の各町内が山鉾を建て、街中を巡行するようになった。
いまでは山鉾巡行が有名だが、本来は神輿(みこし)などの神事が祭りの中心だそうだ。

山鉾はもともと66基あったらしいが、去年までは32基しなかく、ことし1基増えて33基になったという。

その、ことし増えた1基というのが「大船鉾(おおふねほこ)」。

実はこの「大船鉾」は幕末の1864年(いまから150年前)に京都の大火災で焼けてしまったそうで、焼け残った遺品を保存していたが、ことしやっと復活したという。
このときの火災は、(はまぐり)御門の変のときに敗走する長州勢が放火したのではないかと言われており()、折からの強風にあおられ京都の町の大半を焼き尽くしたという。( 異説もある。)

それ以外にも、応仁の乱(15世紀)、天明の大火(江戸時代中ごろ)など、京都の町を焼き尽くす大火のたびごとに祇園祭の山鉾は焼失したという。
残りの33基は、そういった火災で失われたのだろうか。

よく「火事とけんかは江戸の華」というが、いやいやどうして、京都も火事は多かった。
早い話、皇居(当時は内裏(だいり)と言った)だけとってみてもしょっちゅう焼けている。
     ⇒ 内裏火災年表
原因は火の不始末か不審火かわからないが、京都は火事の町 といっても過言ではない。
でも「京の華」とは決して言えない。

焼けてもまたすぐ建てる。
日本人は根気強いなぁと思う。

閑話休題。
きょう、私は復興なった「大船鉾」を見にいってきた。

復興なった「大船鉾」
2014.7.21 14:30 PM

そして、そんなことを思った。

2014.7.21





【過去の関連記事】 お祭り
火事は江戸の華だが (2014.7.21) 祇園祭、大船鉾
葵祭 (2013.5.15) 葵祭
氏神さん (2013.5.12) 今宮神社













コメントの投稿

非公開コメント

筆者のプロフィール ↓

shochan31

Author:shochan31
名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

最近書いた記事 ↓
月別アーカイブ ↓
このブログ内を検索できます ↓
管理者専用 ↓