紫野の義経と弁慶
2015.11.8
きょうはあいにくの雨だったが、義経・弁慶と一緒に紫野 を歩いた。
紫野というのは、いまでは住宅街となった京都市内だが、平安末期は京都(当時は平安京)の北の郊外だった。
義経が生まれ、弁慶と出会ったのがこの辺りだという伝承の地である。
地元のガイドさんに案内してもらった。

義経・弁慶は和歌山県田辺市(弁慶の出身地)から来られた
『安宅関』 と同様、ここでも義経役は女性だ
当時、源義朝の別邸がこの地にあり、牛若丸(源義経の幼名)はここで生まれたという。
牛若丸が産湯 を使ったという井戸と胞衣 を埋めたと伝わる 「胞衣塚」 が、住宅街の中、ここだけ畑が残されている中にあった。
歴史に関心がなければだれも振り返らないようなシロモノだ。

牛若丸が産湯を使ったという井戸
後ろの方、松の生えているところが胞衣塚
付近には常盤御前(義経の母)が(飲み水やお化粧に)使った井戸や、安産祈願をしたというお地蔵さんを祀ったお寺など、ゆかりのものもあった。
ハイライトは「五条の橋」。
牛若丸が弁慶に出会ったのが 「五条の橋」 (京都の鴨川に架かる橋) と、小さいころから聞かされてきた。
じかし、この話が広まったのは明治時代の童話作家巌谷 小波 が書いた童話からだという。
実際は、この付近に流れていた有栖川という川に架かっていた 「ごじょうの橋」 (五常とも御浄とも書くらしい) だというのだ。
牛若丸が生まれたのがこの地だし、武術の稽古に通っていた鞍馬にも近い。
(鴨川の) 「五条の橋」 だと遠すぎる。
この話は、私が数年前に京都に引っ越してきてから初めて聞いた。
そのときはふーん、そんな話も伝わっているのか・・・ なるほど 一理あるし、おもしろいな、と思った。
しかし、実際にその故地を見たこともなかった。

これが有栖川
きょうガイドさんに 「これが有栖川です」 と説明してもらった。
なーんだ、大徳寺の横の川じゃないか。へぇー、知らなかった。これが「有栖川」か。
ずいぶと昔の話だし、当時は川幅も広かったのかもわからない。
近くに 「雲林 院」 というお寺もあった。
ガイドさんによれば、当時は天台宗のお寺だったので、弁慶が延暦寺からこちらに通っていたかもわからないという。
「ごじょうの橋」 もだんだん信憑性を帯びてきた。

弁慶の腰掛石
近くの民家の庭には 「弁慶の腰掛石 」と呼ばれる石もあった。
家に上がって見せてもらった。
どういう謂れかわからないが、石のそばギリギリまで家が建てられ、せっかくの史跡も窮屈そうだった。
きょうは行かなかったが、近くには義経を奥州平泉に連れて行った金売吉次の屋敷跡もある。
この辺りは歴史と伝承に彩 られた地だった。
2015.11.8
きょうはあいにくの雨だったが、義経・弁慶と一緒に
紫野というのは、いまでは住宅街となった京都市内だが、平安末期は京都(当時は平安京)の北の郊外だった。
義経が生まれ、弁慶と出会ったのがこの辺りだという伝承の地である。
地元のガイドさんに案内してもらった。

義経・弁慶は和歌山県田辺市(弁慶の出身地)から来られた
『安宅関』 と同様、ここでも義経役は女性だ
当時、源義朝の別邸がこの地にあり、牛若丸(源義経の幼名)はここで生まれたという。
牛若丸が
歴史に関心がなければだれも振り返らないようなシロモノだ。

牛若丸が産湯を使ったという井戸
後ろの方、松の生えているところが胞衣塚
付近には常盤御前(義経の母)が(飲み水やお化粧に)使った井戸や、安産祈願をしたというお地蔵さんを祀ったお寺など、ゆかりのものもあった。
ハイライトは「五条の橋」。
牛若丸が弁慶に出会ったのが 「五条の橋」 (京都の鴨川に架かる橋) と、小さいころから聞かされてきた。
じかし、この話が広まったのは明治時代の童話作家
実際は、この付近に流れていた有栖川という川に架かっていた 「ごじょうの橋」 (五常とも御浄とも書くらしい) だというのだ。
牛若丸が生まれたのがこの地だし、武術の稽古に通っていた鞍馬にも近い。
(鴨川の) 「五条の橋」 だと遠すぎる。
この話は、私が数年前に京都に引っ越してきてから初めて聞いた。
そのときはふーん、そんな話も伝わっているのか・・・ なるほど 一理あるし、おもしろいな、と思った。
しかし、実際にその故地を見たこともなかった。

これが有栖川
きょうガイドさんに 「これが有栖川です」 と説明してもらった。
なーんだ、大徳寺の横の川じゃないか。へぇー、知らなかった。これが「有栖川」か。
ずいぶと昔の話だし、当時は川幅も広かったのかもわからない。
近くに 「
ガイドさんによれば、当時は天台宗のお寺だったので、弁慶が延暦寺からこちらに通っていたかもわからないという。
「ごじょうの橋」 もだんだん信憑性を帯びてきた。

弁慶の腰掛石
近くの民家の庭には 「弁慶の腰掛石 」と呼ばれる石もあった。
家に上がって見せてもらった。
どういう謂れかわからないが、石のそばギリギリまで家が建てられ、せっかくの史跡も窮屈そうだった。
きょうは行かなかったが、近くには義経を奥州平泉に連れて行った金売吉次の屋敷跡もある。
この辺りは歴史と伝承に
2015.11.8
【過去の関連記事】 見て歩る記 京都編(京都府も含む) ◆ 紫野の義経と弁慶(2015.11.8) 紫野地区 ◆ 京都検定のお勉強(2015.11.1) 妙心寺 ◆ 人気ナンバーワン (2015.10.4) 伏見稲荷大社 ◆ 巨椋池跡を歩く (2015.9.27) 太閤堤、填島城跡 ◆ 1年の折り返し(2015.6.30) 白峯神宮 ◆ 「投」薬とは (2015.3.15) 東福寺 ◆ 迷路の京都(2015.3.7) 『辻子』 ◆ 雪で明けた新年の初詣 (2015.1.2) 上賀茂神社 ◆ クニッテルフェルド ってなんだ (2014.10.26) 亀岡 ◆ 火事は江戸の華だが (2014.7.21) 祇園祭 大船鉾 ◆ 一番地味な「世界遺産」 (2014.6.29) 宇治上神社 ◆ 目にしみる緑(2014.5.6) 東福寺 ◆ 濃いピンクの桜(2014.3.21) 一条戻橋 ◆ 榧(カヤ)の巨木 (2014.3.16) 小野・隨心院 ◆ 戯れ事じゃ (2014.1.12) 御金神社 ◆ 向きを変える神さん (2013.12.31) 神泉苑 ◆ 忠臣蔵 感激の場面(2013.12.14) 山科・岩屋寺 ◆ やっぱりカメラは日本メーカー (2013.12.1) 宝巌院 ◆ 半夏生(はんげしょう) (2013.6.30) 建仁寺 両足院 ◆ 史跡の再活用 (2013.6.29) 高瀬川一之船入 ◆ 欲 まる出し (2013.6.16) 三室戸寺 ◆ 多い外人 (2013.5.26) くらま温泉 ◆ つつじの名所 (2013.5.5) 蹴上浄水場 ◆ 五葉の松 (2013.3.3)梅宮大社 ◆ 糺の森 (2012.12.16) 河合神社 方丈の庵 |