軒端の梅

2016.3.5

梅のほころぶ季節になった。

平安中期の女流歌人 和泉(いずみ)式部が()で、それが伝説となり謡曲にもなった白梅が京都市内にあるというので、出かけてみた。

その謡曲は「東北(とうぼく)」というのだそうだ。

和泉式部がなくなって何年かのち ・・・・・
東国から諸国を行脚(あんぎゃ)してきた一人の僧が、たどりついたのが、和泉式部が仕えていた上東門院(藤原彰子) 発願のお寺、東北院(とうぼくいん)。
そこには梅が見事に咲いていた。
その僧が梅に見とれていると女性が現れ、これはその昔 和泉式部が愛した『軒端(のきば)の梅』で、自分は梅の主だと言い残して黄昏の木陰に姿を消す。
僧が木陰で法華経を唱えて供養していると朧月夜の闇の合間から艶麗(えんれい)な和泉式部の霊が現れて、ありし日の東北院での生活の様子、和歌を()むことの功徳(くどく)、そして歌によって得た仏法の有難さを語り、舞を舞う。
やがて別れを告げて方丈に消える。
旅の僧は夢からさめると仄かに梅の香りが漂っていた ・・・・・


文字どおり夢を見るような話だ。
それでいて、和歌の功徳と、仏法の有難さを巧みに織り込んである。

東北院は上東門院の父(藤原道長)が建立した法成寺(ほうじょうじ)の東北に建てられた。
それがお寺の名前の由来だそうだ。
それが何度も火災にあい軒端の梅も植え替えられ、元禄の頃、東北院は現在の吉田山の東(京都市内)に移転してきたという。
だから、そんな由緒ある梅の木も、和泉式部の愛した梅の面影がどの程度残っているか疑問だ。

これがいまの東北院

これがいまの東北院。
軒端の梅は見るからに老木で、倒れないように棒で支えられていた。

軒端の梅1

でも季節には正直で ちゃんと白い花が咲いていた。

軒端の梅2

目で楽しむというより、謡曲の話に思いを馳せて、感性で楽しまねばならないようだ。

ところで、もともとのお寺は多分「とうほくいん」と濁らなかったと思われるが、世阿弥(ぜあみ)が作った謡曲の演目では「とうぼく」と濁るらしい。
だから、お寺の名前も「とうぼくいん」と濁る。
とかく日本語はむつかしい。



2016.3.5





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紅梅づくし (2014.3.1) 北野天満宮
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