京都・寺町を行く
2016.4.23
家内が 「牡丹の咲いている寺がある、とテレビが言っていた」 という。
桜が終わってこんどは牡丹だというわけだ。
録画してあったテレビ番組を見直したら、その寺は「本満寺」だと言っていた。
なぁーんだ、本満寺ならウチの近くの寺町にあるお寺で、この春、絶景の枝垂桜を見に行ったところだ。 (2016.3.26) →
天気もいいので出かけてみた。

本満寺
あれから4週間。
若葉がすっかり生えそろい、当時は枯れ枝だけだった牡丹に葉が出て、立派な花が満開だった。 ↑ ↓
珍しいクリーム色の牡丹が多かった。
奥の庭にも牡丹がたくさん咲いていた。
このお寺は枝垂桜で知られるが、なかなかどうして牡丹も見ごたえがある。
しかし、みんな黙々と写真をとっていた。

豊臣秀吉が京都を大改造した話は有名だ。
京都にあるお寺を鴨川の右岸に集めて寺町とした。
本満寺はその寺町にあり、近くには多くのお寺がある。
織田信長のお墓があるお寺も 近くにあるというので足を延ばした。
お寺の名前は「阿弥陀寺」。

阿弥陀寺
境内にある一本道を進むと「織田信長公本廟所」があった。
本能寺の焼け跡を探しても信長の遺骸は見つからなかったといわれているが、信長と親しかった阿弥陀寺の清玉 上人 が焼け跡から首を持ち帰って隠したからとも言われている。この説の方が信憑性が高いらしい。

卒塔婆には「334 回忌追善供養」とあり、「NHK 歴史秘話ヒストリア」 「片岡愛之助の 解明! 歴史捜査」 「泉秀樹の歴史を歩く」などテレビ局が施主のもあった。テレビ番組には結構取り上げられているらしい。 ↓

信長が討死したの年を調べたら 1582 年なので、計算したら 334 回忌は去年(2015年)がそれにあたる。
命日は6月2日だが、今年も墓前祭をやるのだろうか。
・・・ などと思っていたら、お寺の方とおぼしき方に、「この墓地には森光子さんのお墓もありますよ」と教えていただいた。
へぇー 森光子さんといえば 亡くなられたときに このブログでも取り上げさせてもらったことがある。→
これも何かの縁だと思って、案内してもらった。
「本名は村上なので(墓石は)村上家となっています」 ↓
「手前の黒い石に “森光子ここに眠る” と彫られていますが、ほとんど誰も気づきません」

裏に回れば、ジャニーズ事務所関係者や東宝などの名前が書かれた卒塔婆が立っていた。

墓地の一角には 無縁となった墓石が整然と集められていた。

有名でない普通の人間はいずれはこうなるのだろう ・・・
しばし 見とれていた。
さて、その次は天寧寺。 ↓
昔の新聞に、このお寺の三門の向こうに比叡山が見え、ちょうど額縁のようだ、という記事が載っていて、それ以来ずっと手元に置いていた。
新聞の日付は昭和36年だから、計算すると55年も昔のことだ。
いつかは来てみたいとずーっと思い続けてきた。
それが、やっと念願がかなったという訳。
近くに住んでいるといっても、ずっと京都を留守にしていたから当然といえば当然だが、それにしても、どうしていままで来なかったのが不思議なくらいだ。
話に聞いていたとおり、比叡山が真正面に見える。
でも 55 年間思い続けてきた印象からすると、比叡山がとても小さく見えた。
心の中のイメージが膨らんでいたのか、新聞に載った写真の撮影テクニックか。

天寧寺
これが、私が、いつかは行ってみたいと思って 55 年間も持ち続けた新聞記事の切り抜きの実物。(↓)

©京都新聞 昭和36年(1961)2月25日夕刊1面
2016.4.23
家内が 「牡丹の咲いている寺がある、とテレビが言っていた」 という。

録画してあったテレビ番組を見直したら、その寺は「本満寺」だと言っていた。
なぁーんだ、本満寺ならウチの近くの寺町にあるお寺で、この春、絶景の枝垂桜を見に行ったところだ。 (2016.3.26) →
天気もいいので出かけてみた。

本満寺
あれから4週間。
若葉がすっかり生えそろい、当時は枯れ枝だけだった牡丹に葉が出て、立派な花が満開だった。 ↑ ↓
珍しいクリーム色の牡丹が多かった。
奥の庭にも牡丹がたくさん咲いていた。
このお寺は枝垂桜で知られるが、なかなかどうして牡丹も見ごたえがある。
しかし、みんな黙々と写真をとっていた。

豊臣秀吉が京都を大改造した話は有名だ。
京都にあるお寺を鴨川の右岸に集めて寺町とした。
本満寺はその寺町にあり、近くには多くのお寺がある。
織田信長のお墓があるお寺も 近くにあるというので足を延ばした。
お寺の名前は「阿弥陀寺」。

阿弥陀寺
境内にある一本道を進むと「織田信長公本廟所」があった。
本能寺の焼け跡を探しても信長の遺骸は見つからなかったといわれているが、信長と親しかった阿弥陀寺の

卒塔婆には「334 回忌追善供養」とあり、「NHK 歴史秘話ヒストリア」 「片岡愛之助の 解明! 歴史捜査」 「泉秀樹の歴史を歩く」などテレビ局が施主のもあった。テレビ番組には結構取り上げられているらしい。 ↓


命日は6月2日だが、今年も墓前祭をやるのだろうか。
・・・ などと思っていたら、お寺の方とおぼしき方に、「この墓地には森光子さんのお墓もありますよ」と教えていただいた。
へぇー 森光子さんといえば 亡くなられたときに このブログでも取り上げさせてもらったことがある。→
これも何かの縁だと思って、案内してもらった。
「本名は村上なので(墓石は)村上家となっています」 ↓
「手前の黒い石に “森光子ここに眠る” と彫られていますが、ほとんど誰も気づきません」

裏に回れば、ジャニーズ事務所関係者や東宝などの名前が書かれた卒塔婆が立っていた。

墓地の一角には 無縁となった墓石が整然と集められていた。

有名でない普通の人間はいずれはこうなるのだろう ・・・
しばし 見とれていた。
さて、その次は天寧寺。 ↓
昔の新聞に、このお寺の三門の向こうに比叡山が見え、ちょうど額縁のようだ、という記事が載っていて、それ以来ずっと手元に置いていた。
新聞の日付は昭和36年だから、計算すると55年も昔のことだ。
いつかは来てみたいとずーっと思い続けてきた。
それが、やっと念願がかなったという訳。
近くに住んでいるといっても、ずっと京都を留守にしていたから当然といえば当然だが、それにしても、どうしていままで来なかったのが不思議なくらいだ。
話に聞いていたとおり、比叡山が真正面に見える。
でも 55 年間思い続けてきた印象からすると、比叡山がとても小さく見えた。
心の中のイメージが膨らんでいたのか、新聞に載った写真の撮影テクニックか。

天寧寺
これが、私が、いつかは行ってみたいと思って 55 年間も持ち続けた新聞記事の切り抜きの実物。(↓)

©京都新聞 昭和36年(1961)2月25日夕刊1面
2016.4.23
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