すわ大事件
2016.4.28
ウチの近くにある京都御苑 の周りには9つの門があるが、その中で最も有名なのが 「蛤 御門 」 だ。
この門は 「新在家御門」 という名前だったが、天明の大火(1788年)のとき、或いは宝永の大火(1708年)のとき、めったに開けられなかったこの門が(避難者の避難路として)開けられたので 『焼けて口開く蛤』 に例えて「蛤御門」と呼ばれるようになった、という。
このエピソードはとっても面白いし、京都の人ならだれでも知っている話だ。
おそらく、この話はどのガイドブックにも載っているのではないか。
それほど有名な話だが、「開かずの門」ではなかった という説がきょうの新聞に出ていて仰天した。

けさの京都新聞記事
長谷さんという京都に住む一市民の方が、宝永4年(1707年)の文書と元禄7年(1694年)ごろの文書に「蛤御門」という表記があるのを見つけたという。
宝永4年、元禄7年はいずれも、「天明・宝永の大火」 より前である。
大火より前から すでに 「蛤御門」 と呼ばれていた、という証拠がふたつも出てきたわけだ。
つまり 「火事で焼けて開いた」 説は成り立たなくなることになる。
ただ、その方によると、寛文13年(1673年)にも火事があったので、「焼けて口を開いた」のはこの火事のときかもわからないそうだ。
そうでなければ、海のない京都に「蛤」御門とは? なぜこんな名前で呼ばれるようになったか疑問が残る。
「一市民の方」というのは、ご職業が電車の運転手をされている方だという。
これにも驚いた。
特筆すべきことだろう。
いずれにせよ、、「天明・宝永の大火で焼けて口を開いた」説は成り立たなくなる。
ガイドブック類はもとより、現地の駒札、毎週行われているガイドツアー、その他の書籍類、すべて説明の変更を余儀なくされるので、大事件だ。

現地に立っている「駒札」、きょう撮影
この駒札では、珍しく どの火事のときに開いたのか特定していないので、セーフかも !?
ただ、「大火」と断定はできないのかも ??
● 京都御苑で御苑の説明をされている I さんに電話したら、まだその記事を見ておられなくて、驚いておられた。
● 京都の歴史文化に詳しい S さんに伺ったら、記事はご覧になったそうだが、「いろんな新事実が出てくるものだ」と驚いておられた。
● 京都御苑に詳しい別の S さんに電話したら、蛤御門の名前の由来は、蛤御門の戦いで桑名軍が戦闘に加わったから、桑名となにか関係あるのと違うか、と言っておられた。
● 別の N さんは、近くで(焼けた)蛤を売っていたのと違うか、と言っておられた。
● 地元の歴史に詳しい M さんに伺ったら、記事は読んだが、火事は何べんでもあったし、との回答だった。つまり、「焼けて口を開いた」火事はしょっちゅうあった、という考えだ。
余波は続き、疑問は残る ・・・

きょうの蛤御門
2016.4.28
ウチの近くにある
この門は 「新在家御門」 という名前だったが、天明の大火(1788年)のとき、或いは宝永の大火(1708年)のとき、めったに開けられなかったこの門が(避難者の避難路として)開けられたので 『焼けて口開く蛤』 に例えて「蛤御門」と呼ばれるようになった、という。
このエピソードはとっても面白いし、京都の人ならだれでも知っている話だ。
おそらく、この話はどのガイドブックにも載っているのではないか。
それほど有名な話だが、「開かずの門」ではなかった という説がきょうの新聞に出ていて仰天した。

けさの京都新聞記事
長谷さんという京都に住む一市民の方が、宝永4年(1707年)の文書と元禄7年(1694年)ごろの文書に「蛤御門」という表記があるのを見つけたという。
宝永4年、元禄7年はいずれも、「天明・宝永の大火」 より前である。
大火より前から すでに 「蛤御門」 と呼ばれていた、という証拠がふたつも出てきたわけだ。
つまり 「火事で焼けて開いた」 説は成り立たなくなることになる。
ただ、その方によると、寛文13年(1673年)にも火事があったので、「焼けて口を開いた」のはこの火事のときかもわからないそうだ。
そうでなければ、海のない京都に「蛤」御門とは? なぜこんな名前で呼ばれるようになったか疑問が残る。
「一市民の方」というのは、ご職業が電車の運転手をされている方だという。
これにも驚いた。
特筆すべきことだろう。
いずれにせよ、、「天明・宝永の大火で焼けて口を開いた」説は成り立たなくなる。
ガイドブック類はもとより、現地の駒札、毎週行われているガイドツアー、その他の書籍類、すべて説明の変更を余儀なくされるので、大事件だ。

現地に立っている「駒札」、きょう撮影
この駒札では、珍しく どの火事のときに開いたのか特定していないので、セーフかも !?
ただ、「大火」と断定はできないのかも ??
● 京都御苑で御苑の説明をされている I さんに電話したら、まだその記事を見ておられなくて、驚いておられた。
● 京都の歴史文化に詳しい S さんに伺ったら、記事はご覧になったそうだが、「いろんな新事実が出てくるものだ」と驚いておられた。
● 京都御苑に詳しい別の S さんに電話したら、蛤御門の名前の由来は、蛤御門の戦いで桑名軍が戦闘に加わったから、桑名となにか関係あるのと違うか、と言っておられた。
● 別の N さんは、近くで(焼けた)蛤を売っていたのと違うか、と言っておられた。
● 地元の歴史に詳しい M さんに伺ったら、記事は読んだが、火事は何べんでもあったし、との回答だった。つまり、「焼けて口を開いた」火事はしょっちゅうあった、という考えだ。
余波は続き、疑問は残る ・・・

きょうの蛤御門
2016.4.28