比叡山に登る
2016.8.11
京都の街から見たら鬼門の方角にある山で、いつも見慣れている比叡山(ひえいざん)。
最澄が開いた天台宗の総本山、延暦寺のある山であり、多くの名僧・高僧を輩出した山でもある。

ウチの近くから見える比叡山の山容
長らく行ってないし、いちど行ってこようかなと ”ふ” と思った。
(調べてみたら、前に行ったのは1981年のことだから、実に35年も昔だった。)
そしたら家内が歩いて上ろう、と言い出した。
へぇー? 歩いて !?
(1981年のときはドライブウエーを車で行った。)
でも考え直したら、標高800余メートルで、先日の愛宕山より低いし、有名な 「雲母(きらら)坂」 という道もある。
じゃー 行ってみるか。
あとで気づいたが、きょうは 「山の日」 だった。
(今年から新しくできた国民の祝日)
さっそく登り始めたが、やはりキツイ。
登山道(雲母 坂)は切り立ったV字渓谷状になっていた。
思うに ・・・ 最澄が延暦寺を建てて以来、多くのお坊さんや僧兵、親鸞、日蓮、法然など多くの高僧、朝廷からの勅使、その他無数の人々が長年にわたって行き来した道なので、徐々にえぐられ、さらに雨水に削られ、こんなになってしまったのではないだろうか。

雲母(きらら)坂
そんな余計なことを考えながら、一歩一歩進んで行くとやがて 「ビュースポット」 という看板のあるところにたどり着いた。
眼下に京都市内が見え、ずっとその先の山の切れたところが大山崎で、その先は大阪なのだろう。

比叡ビュースポット、標高 660 m
比叡山は標高 848 m で、一等三角点があるらしいが、山頂には上らずに、標高 750 m 程度のわき道を巻ながら延暦寺に向かった。
延暦寺へは観光バスや自家用車でも来られる。
延暦寺の根本中堂は国宝で世界遺産なので、観光客が多かった。
世界遺産に登録された理由は 「日本の仏教文化を継承し、多くの人材を輩出した」 ことによるらしい。
なるほど ・・・
それだけの伝統があるんだ ・・・

そんな伝統の中で、『不滅 の法灯』 と言って、最澄の時代から絶えることなくともっているお灯明 があるというので拝見。
ひとつだけかと思ったら三つもある釣 灯篭の中でかすかに灯っていた。 ↓
万が一消えたときのための保険だろうか。

不滅の法灯、天台宗のホームページから
年表で調べてみたら、最澄は1200年前の人だ。
だからこのお灯明も1200年続いていることになる。
すごいね。
(※ 実際は信長による比叡山焼打ちに遭ったとき一度途絶えたが、出羽 (いまの山形県) の立石寺 (いわゆる「山寺 」) に分けてあった灯 を逆に分けてもらったとか)
帰りは、山の反対側にある坂本ケーブルで降りた。

1927年(昭和2年)開通で、長さは 2 km あって日本一とのことだ。
目の前にびわ湖が広がっていい眺めだった。
カタコト ・・・ と11分かけて降りた。
下界は暑い夏だった。
きょうの私でした。
2016.8.11
京都の街から見たら鬼門の方角にある山で、いつも見慣れている比叡山(ひえいざん)。
最澄が開いた天台宗の総本山、延暦寺のある山であり、多くの名僧・高僧を輩出した山でもある。

ウチの近くから見える比叡山の山容
長らく行ってないし、いちど行ってこようかなと ”ふ” と思った。
(調べてみたら、前に行ったのは1981年のことだから、実に35年も昔だった。)
そしたら家内が歩いて上ろう、と言い出した。
へぇー? 歩いて !?
(1981年のときはドライブウエーを車で行った。)
でも考え直したら、標高800余メートルで、先日の愛宕山より低いし、有名な 「雲母(きらら)坂」 という道もある。
じゃー 行ってみるか。
あとで気づいたが、きょうは 「山の日」 だった。
(今年から新しくできた国民の祝日)
さっそく登り始めたが、やはりキツイ。
登山道(
思うに ・・・ 最澄が延暦寺を建てて以来、多くのお坊さんや僧兵、親鸞、日蓮、法然など多くの高僧、朝廷からの勅使、その他無数の人々が長年にわたって行き来した道なので、徐々にえぐられ、さらに雨水に削られ、こんなになってしまったのではないだろうか。

雲母(きらら)坂
そんな余計なことを考えながら、一歩一歩進んで行くとやがて 「ビュースポット」 という看板のあるところにたどり着いた。
眼下に京都市内が見え、ずっとその先の山の切れたところが大山崎で、その先は大阪なのだろう。

比叡ビュースポット、標高 660 m
比叡山は標高 848 m で、一等三角点があるらしいが、山頂には上らずに、標高 750 m 程度のわき道を巻ながら延暦寺に向かった。
延暦寺へは観光バスや自家用車でも来られる。
延暦寺の根本中堂は国宝で世界遺産なので、観光客が多かった。
世界遺産に登録された理由は 「日本の仏教文化を継承し、多くの人材を輩出した」 ことによるらしい。
なるほど ・・・
それだけの伝統があるんだ ・・・

そんな伝統の中で、『
ひとつだけかと思ったら三つもある
万が一消えたときのための保険だろうか。

不滅の法灯、天台宗のホームページから
年表で調べてみたら、最澄は1200年前の人だ。
だからこのお灯明も1200年続いていることになる。
すごいね。
(※ 実際は信長による比叡山焼打ちに遭ったとき一度途絶えたが、出羽 (いまの山形県) の
帰りは、山の反対側にある坂本ケーブルで降りた。

1927年(昭和2年)開通で、長さは 2 km あって日本一とのことだ。
目の前にびわ湖が広がっていい眺めだった。
カタコト ・・・ と11分かけて降りた。
下界は暑い夏だった。
きょうの私でした。
2016.8.11