初公開の展望台
2016.8.28
『ばかと煙は高いところへ登りたがる』
私は生まれつき高いところに登って周辺 の景色を見るのが好きだ。
京都、東山のふもとにある高台寺(こうだいじ)。
その高台寺の奥に展望台があって、初めて公開されている、との情報を得たので行ってみた。
高台寺は豊臣秀吉 の正室「ねね」が 亡き秀吉の菩提 を弔 うために建てたお寺で、出家したあとはにはこのお寺の西隣の屋敷に住まいしていて、そこで亡くなったそうだ。
高台寺が創建時には、秀吉の政敵である徳川家康 も、ねねのために多額の寄進をしたという。
本来なら徳川家からは冷遇されるべき立場にありながら、逆に厚遇されたというのはねねの人柄だろうか。
拝観順路に従って、方丈を見たあと庭に出る。

東山山麓にある広大な庭園
庭園を鑑賞していたら和装をした一団が通り過ぎていった。
韓国人 かな と思ったら、話しことばからして 中国人 とわかった。
いまは、”レンタルきもの” が大流行(おおはやり)で、雰囲気作りとしては誠に結構 なことだ。

開山堂に向かう中国人の観光客
秀吉は韓国占領を企図して2度も兵を出している。
それは「文禄の役」「慶長の役」で、日本史上の一大汚点だ。
だから、ここ(秀吉ゆかりの地)に韓国人が来たらなんと思うだろうか・・・ とハラハラしたが、中国人だと分かってホッと胸をなでおろした。
・・・ そして次は「霊屋(おたまや)」。
このお寺のコアとなる建物である。
外人(西洋人)のガイドさんが出迎えてくれたのには驚いたが、 ↓
お寺も外人ガイドを手配するほど、国際化し、観光地化したんだなぁ と思いなおした。

霊屋(おたまや)で出迎えてくれたガイドさん
霊屋(おたまや)、文字どおり秀吉とねねを霊を祀(まつ)ってある所だ。
ガイドさんによれば、ねねさんの木像の下には実際にねねさんが葬られているという。
へぇー っと思って聞いてみたら、ミイラや白骨になっているのではなく、火葬された ねねさん のお骨 が安置されているだけだそうだ。
まぁー そりゃそーだろうな。
そして、霊屋は秀吉のお墓がある 阿弥陀が峯 の方を向いて建てられている、という。
なるほど、そうか。
いまは木立(こだち)で見えないが、阿弥陀が峯 は指呼の間だから、創建当時はここから見えたのだろう。
ガイドさんと話をしていたら、(歴史の説明をするのに) 英語の方が日本語より簡単だという。
へぇー、そんなもんか ・・・ と思っていたが、あとで考えたら、このガイドさんの母国語が英語だから 「説明が簡単」 なのは、そりゃぁ当然だな、とあとで気づいた。(笑)
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そして、いよいよきょうのハイライト、境内の奥にある展望台へ。

展望台へ
お寺の入口で聞いたときは 「最近整備されて 初公開です」 とのことだったが、その割には古びていた。
ま、普段は限られた人しか登れなかったが、今回は 『一般公開』 で、そういう意味では<初>なのかもわからない。
『(初の)一般公開』 を前に掃除するなどしてちょっときれいにした程度かナ と思った。

周りの巨木が伐採されているが最近伐採されたものではなさそうだった
しかしそのせいで視界が広がっていてありがたかった
あいにくの天気で見晴らしはよくなかった。
でも、京都市内の大きな建物や塔、山並みなど目立つものは確認できた。

展望台から京都市内の眺め
話によれば、1615年(慶長20年) 大阪夏の陣で大阪城が落ちたとき、ここから煙(炎?)が見えたという。
ねねさんは豊臣家の滅亡を目(ま)の当たりして落涙(らくるい)した - よくできたストーリーである。
地理的にはここから大阪が見える位置にある。
昔は空気も澄んでいたし、夜間は周りに何の灯りもないから、見えたのかもわからない。
だって、親から聞いた話しでは、昭和20年の大阪大空襲のとき、夜間、京都から大阪方向の雲が赤く見えたというから。
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それにしても、高台 寺は東山山麓一帯に広がる広大 な境内 のあるお寺だった。
2016.8.28
『ばかと煙は高いところへ登りたがる』
私は生まれつき高いところに登って
京都、東山のふもとにある高台寺(こうだいじ)。
その高台寺の奥に展望台があって、初めて公開されている、との情報を得たので行ってみた。
高台寺は豊臣
高台寺が創建時には、秀吉の政敵である徳川
本来なら徳川家からは冷遇されるべき立場にありながら、逆に厚遇されたというのはねねの人柄だろうか。
拝観順路に従って、方丈を見たあと庭に出る。

東山山麓にある広大な庭園
庭園を鑑賞していたら和装をした一団が通り過ぎていった。
韓国人 かな と思ったら、話しことばからして 中国人 とわかった。
いまは、”レンタルきもの” が大流行(おおはやり)で、雰囲気作りとしては誠に

開山堂に向かう中国人の観光客
秀吉は韓国占領を企図して2度も兵を出している。
それは「文禄の役」「慶長の役」で、日本史上の一大汚点だ。
だから、ここ(秀吉ゆかりの地)に韓国人が来たらなんと思うだろうか・・・ とハラハラしたが、中国人だと分かってホッと胸をなでおろした。
・・・ そして次は「霊屋(おたまや)」。
このお寺のコアとなる建物である。
外人(西洋人)のガイドさんが出迎えてくれたのには驚いたが、 ↓
お寺も外人ガイドを手配するほど、国際化し、観光地化したんだなぁ と思いなおした。

霊屋(おたまや)で出迎えてくれたガイドさん
霊屋(おたまや)、文字どおり秀吉とねねを霊を祀(まつ)ってある所だ。
ガイドさんによれば、ねねさんの木像の下には実際にねねさんが葬られているという。
へぇー っと思って聞いてみたら、ミイラや白骨になっているのではなく、火葬された ねねさん のお
まぁー そりゃそーだろうな。
そして、霊屋は秀吉のお墓がある 阿弥陀が峯 の方を向いて建てられている、という。
なるほど、そうか。
いまは木立(こだち)で見えないが、阿弥陀が峯 は指呼の間だから、創建当時はここから見えたのだろう。
ガイドさんと話をしていたら、(歴史の説明をするのに) 英語の方が日本語より簡単だという。
へぇー、そんなもんか ・・・ と思っていたが、あとで考えたら、このガイドさんの母国語が英語だから 「説明が簡単」 なのは、そりゃぁ当然だな、とあとで気づいた。(笑)
そして、いよいよきょうのハイライト、境内の奥にある展望台へ。

展望台へ
お寺の入口で聞いたときは 「最近整備されて 初公開です」 とのことだったが、その割には古びていた。
ま、普段は限られた人しか登れなかったが、今回は 『一般公開』 で、そういう意味では<初>なのかもわからない。
『(初の)一般公開』 を前に掃除するなどしてちょっときれいにした程度かナ と思った。

周りの巨木が伐採されているが最近伐採されたものではなさそうだった
しかしそのせいで視界が広がっていてありがたかった
あいにくの天気で見晴らしはよくなかった。
でも、京都市内の大きな建物や塔、山並みなど目立つものは確認できた。

展望台から京都市内の眺め
話によれば、1615年(慶長20年) 大阪夏の陣で大阪城が落ちたとき、ここから煙(炎?)が見えたという。
ねねさんは豊臣家の滅亡を目(ま)の当たりして落涙(らくるい)した - よくできたストーリーである。
地理的にはここから大阪が見える位置にある。
昔は空気も澄んでいたし、夜間は周りに何の灯りもないから、見えたのかもわからない。
だって、親から聞いた話しでは、昭和20年の大阪大空襲のとき、夜間、京都から大阪方向の雲が赤く見えたというから。
それにしても、
2016.8.28
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