堂本印象はスゴイ

2018.3.21

私は緑内障を患っている。
緑内障を診てもらっているのはウチの近くの病院の眼科。
その眼科の待合の壁に堂本印象の絵が さりげなく かかっている。

今週月曜、受診のときも見たが、抽象画なのでイマイチ馴染めないな ・・・ と思いつつ、大して気にも留めていなかった。

第二日赤の壁
堂本印象の絵 「希望と信頼」

しかし一方、東福寺の本堂の天井には「蒼龍図」が描かれているが、こちらも堂本印象の筆になるという、と聞いていた。

蒼龍図
蒼龍図、1933年、東福寺本堂 (ソース: フォト蔵)

同じ画家とは思えない。
なんとなく不思議に思ってはいたが、深く考えたことがなかった。

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ウチの前をとおるバスの終点に堂本印象美術館がある。
そんな便利なところにあるにも拘らず、堂本印象といえば抽象画のイメージがあって、一度も中に入ったことがなかった。

その美術館がきょう(3月21日)にリニューアルオープンしたというので、行ってみることにした。

堂本印象美術館
きょう リニューアルオープン した堂本印象美術館

堂本印象美術館
こちらは リニューアルする前の堂本印象美術館 (ソース: Google StreetView, 2016年8月)


行ってみて初めて知ったのだが、彼は日本画の第一人者で歴史画などを描いていたが、戦後はモダンな内容や西欧人を描きはじめ、昭和27年に半年間ヨーロッパを遊歴したのちは抽象画をに手を染め、さらにが障壁画(襖絵)の他、ステンドグラス、彫刻や陶芸など画業の域を超えて「創造と挑戦」(きょうのリニューアルオープン記念展覧会のタイトル)に取り組んだ人だった。

展覧会パンフレット
リニューアルオープン記念展覧会 「創造と挑戦」

驚くべき多才の持ち主だったことを知った。

その代表作のひとつが「交響」だということで、展示してあった。

交響(1961年)
交響、1961年 (ソース: 堂本印象美術館ウェブサイト)

岡本太郎みたいでよく分からない。

でも、もちろん最初は日本画だった。
代表作のひとつが歴史に画題を求めて描いた 「木華開耶媛(このはなさくやひめ)」 だということで、展示してあった。
うん、やっぱり日本画はいいなぁ。

交響(1961年)
木華開耶媛、1929年 (ソース: 堂本印象美術館ウェブサイト)

彼は額装の絵画の他、屏風、巻物も手掛けているが、なんと障壁画(襖絵)も多く手掛けているのだった。

最初の頃は具象画。
といってもとてもモダンなモチーフだ。

智積院寝殿障壁画
婦女喫茶図、1958年、智積院寝殿

智積院といえば、長谷川等伯・久蔵父子の国宝 「桜楓図」 が有名で、私も何度か見ているし、いまはレプリカがはめられている。(こちら、2014.9.14
そんな古刹にこんな洋風な障壁画を描いたんだ。
襖絵としては前代未聞のモチーフということで、当時は大きな波紋があったそうだ。
固定観念の私も、最初は驚くだろう。
しかし、こうしてみると、うん、なかなかいけるじゃないか。

しかし、次のはいただけない。

西芳寺
1969年、西芳寺

西芳寺とは、世界遺産の通称苔寺のことだ。

法然院
1977年、法然院

こちらは洛東にある法然院の襖絵。

「いただけない」 と感じたが、しかしずっと見ていると、うんなかなかいけるじゃないか・・・ という気分になってくるから不思議だ。
装飾画として見たらいいかもわからない。

という訳で、きょうは堂本印象の画業をたっぷり楽しませてもらった。

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展覧会場に彼の年譜が貼ってあった。
彼が生まれたのはウチから 500m ほどしかはなれていない近所だった。
知らなかった。
そして、亡くなったのはいま私が通っている 病院 だったそうだ。
病院の壁に彼の作品がかかっているのは、亡くなられたあと、家族が病院に寄付したのかもわからない。
あるいは、同じ地域の病院だからと寄贈したのかもわからない。
いまやっと、こんなことが分かってきた。

2018.3.21








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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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