400年前の屏風

2018.9.9

今上天皇が来年退位される。
崩御のときは1年間の喪があけてから 後継天皇の即位礼となるが、今回は(生前譲位なので)践祚ののち早い時期に即位礼となるはずだ。

江戸時代から昭和天皇までの即位礼と大嘗祭(あわせて「御大礼」という)の様子の絵画資料を展示する展覧会 『京都の御大礼』 がいま京都の細見美術館という『私設』美術館で開かれている。
その展覧会の 招待券を貰ったので行ってみた

展覧会の名前からすると御大礼に関する展示だと思って入ったが、意外にも今回は (御大礼とは直接関係しないが) 特別に(?)2双の行幸図屏風が展示してあり、私はこちらのほうに関心があった。

◆ 「御所参内・聚楽第行幸図屏風」6曲1双 = 天正16年(1588)4月、後陽成天皇が聚楽第(じゅらくてい)に行幸されたときの様子を屏風にしたもの 中立売通下長者町通が描かれている
◆ 「二条城行幸図屏風」6曲1双 = 寛永3年(1626)9月、後水尾天皇が二条城に行幸されたときの様子を屏風にしたもの 中立売通堀川通が描かれている

屏風
意外にも 御所参内・聚楽第行幸図屏風 が展示されていた

とくに 「御所参内・聚楽第行幸図屏風」 は、2009年(いまから9年前)に新潟県の上越市(私個人的には「直江津」の方がなじみがある)で発見されたと公表されたもので、当時私は埼玉県の越谷市に住んでいたが、京都の地元 ~ いま私が住んでいるところ であった400年前のイベントが描かれているので 大変興奮したものだった。

当時聞いた話では、(上越市在住の)屏風の所持者や奥さんから「カビ臭くて早く処分して」と相談を受けた方が、地元の博物館(上越市立総合博物館)に相談して日の目を見ることになったそうだ。
いろんな人の手を経てきたのだろう。それが400年もの時を経て、京都から遠く離れた上越市で見つかるとは奇跡だった。

屏風は所持者から上越市立総合博物館に寄託され、最初は同博物館で公開されたがその後どうなったか忘れていた。
それが京都に来たのだ。
昔(9年前)の記憶がよみがえった。
岩絵具が盛り上がっていたり、保存状態はよかった。
ただ、照明が暗くて(自分の目も悪いのだが)よく分からなかった。

あとで解説本をゆっくり見ることにしよう。
ま、実物に会えたということだけはうれしかった。

展覧会 (『京都の御大礼』) そのものの展示物には、長い歴史と伝統に従って今回も(多分来年に)行われる即位礼と大嘗祭の、過去の様子が克明に記録されていた。
しかし内容は複雑で我々素人には急には理解できない。
その辺は宮廷文化や有職故実の専門家にお任せして、推移を見守るとともに、(もとは中国などの文化をベースにしているんだろうが)日本という国で独自に発展した重厚な伝統文化に感心し、また世界に誇りたい。
日本はすばらしい国だ。

展覧会を見てそう思った。

2018.9.9






コメントの投稿

非公開コメント

筆者のプロフィール ↓

shochan31

Author:shochan31
名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

最近書いた記事 ↓
月別アーカイブ ↓
このブログ内を検索できます ↓
管理者専用 ↓