鈴木松年の墓
2020.2.11
数日前、或る人から鈴木松年(すずき・しょうねん)という画家の一風変わった墓の話を聞いた。
画家は明治・大正に活躍した日本画家で、墓石は硯(すずり)の形をしている、という。
それで、きょう見に行くことにした。
場所は京都・円山公園の奥、東山のふもとにある長楽寺の中。

長楽寺に上る
長楽寺といえば、建礼門院が剃髪して入ったお寺として知られる。
門前には 「頼山陽先生墓所」 の石碑が立つ。 ↑ 写真
へぇー、鈴木松年のほかに頼山陽も眠っているいるのか。
受付で拝観料を払うと、「きょうはお善哉の接待をしています」 といわれ、庭の見える心地よい部屋 〔書院か?〕 に招かれた。
庭は相阿弥(祖阿弥)という人の作で、銀閣寺の庭や(清水寺)成就院の庭(「月の庭」)も作っているという。
相阿弥といえば能を集大成した観阿弥、世阿弥を連想するが、全く関係ないそうだ。

長楽寺庭園、写真は「おにわさん」<https://oniwa.garden/chorakuji-kyoto-garden-長楽寺庭園/>から
部屋に座ってお善哉を一杯いただいた。
同席していた女性は、建礼門院の遺品を見に来たという。
そりゃそうだろう。
長楽寺といえば、建礼門院だからなぁ。
室内には、わが子安徳天皇がいまわのきわまで召されていたと言う形見の直衣(のうし)を、自ら幡(ばん)に仕立て亡き子の菩提を弔われたという<安徳天皇御衣幡>がガラスケースに収められていた。
建礼門院の遺品というのは、これだ。
受付に戻り、鈴木松年のお墓に行きたいと言ったら地図を差し出された。

墓地の案内図
墓地へ向かう道、京都市街地を見下ろせる見晴らしのよいところに頼山陽の墓があった。
京都を 「山紫水明(さんしすいめい)」 の地と呼んだ人の眠る場所としてふさわしい場所だ。
そして目的の 鈴木家の墓地に出た。

左から二つ目が鈴木松年の墓
墓石は妻鶴栄(一番奥)、長男松僊(右端)と共にあった。
話に聞いたとおり、鈴木松年の墓石は硯(すずり)の形をしていた。
その墓石の裏には龍の図 〔雲龍図〕 が彫られているとも聞いていた。

硯(すずり)の形をした墓石、上には「老龍」の文字
それで裏を覗いてみると、確かに雲龍図ががあった。
ちょうど真横から日が差していたので、凹凸がよく見えてラッキーだった。

雲龍図
2020.2.11
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追記
鈴木松年のことを調べていたら、去年秋、永観堂に紅葉を見に行ったとき、画仙堂があったが、その画仙堂は鈴木松年の発願によって建てられた建物だったと知った。
その画家が鈴木松年だったのだ。
そうだったのか。
曰く
そういえば画仙堂に 「天龍図」 もあったなぁ。
数日前、或る人から鈴木松年(すずき・しょうねん)という画家の一風変わった墓の話を聞いた。
画家は明治・大正に活躍した日本画家で、墓石は硯(すずり)の形をしている、という。
それで、きょう見に行くことにした。
場所は京都・円山公園の奥、東山のふもとにある長楽寺の中。

長楽寺に上る
長楽寺といえば、建礼門院が剃髪して入ったお寺として知られる。
門前には 「頼山陽先生墓所」 の石碑が立つ。 ↑ 写真
へぇー、鈴木松年のほかに頼山陽も眠っているいるのか。
受付で拝観料を払うと、「きょうはお善哉の接待をしています」 といわれ、庭の見える心地よい部屋 〔書院か?〕 に招かれた。
庭は相阿弥(祖阿弥)という人の作で、銀閣寺の庭や(清水寺)成就院の庭(「月の庭」)も作っているという。
相阿弥といえば能を集大成した観阿弥、世阿弥を連想するが、全く関係ないそうだ。

長楽寺庭園、写真は「おにわさん」<https://oniwa.garden/chorakuji-kyoto-garden-長楽寺庭園/>から
部屋に座ってお善哉を一杯いただいた。
同席していた女性は、建礼門院の遺品を見に来たという。
そりゃそうだろう。
長楽寺といえば、建礼門院だからなぁ。
室内には、わが子安徳天皇がいまわのきわまで召されていたと言う形見の直衣(のうし)を、自ら幡(ばん)に仕立て亡き子の菩提を弔われたという<安徳天皇御衣幡>がガラスケースに収められていた。
建礼門院の遺品というのは、これだ。
受付に戻り、鈴木松年のお墓に行きたいと言ったら地図を差し出された。

墓地の案内図
墓地へ向かう道、京都市街地を見下ろせる見晴らしのよいところに頼山陽の墓があった。
京都を 「山紫水明(さんしすいめい)」 の地と呼んだ人の眠る場所としてふさわしい場所だ。
そして目的の 鈴木家の墓地に出た。

左から二つ目が鈴木松年の墓
墓石は妻鶴栄(一番奥)、長男松僊(右端)と共にあった。
話に聞いたとおり、鈴木松年の墓石は硯(すずり)の形をしていた。
その墓石の裏には龍の図 〔雲龍図〕 が彫られているとも聞いていた。

硯(すずり)の形をした墓石、上には「老龍」の文字
それで裏を覗いてみると、確かに雲龍図ががあった。
ちょうど真横から日が差していたので、凹凸がよく見えてラッキーだった。

雲龍図
2020.2.11
追記
鈴木松年のことを調べていたら、去年秋、永観堂に紅葉を見に行ったとき、画仙堂があったが、その画仙堂は鈴木松年の発願によって建てられた建物だったと知った。
→ そのときの記事は こちら
そのときに現地でそんな説明を聞いたような気がするが、<画家の何某>というだけて、具体的な画家の名前は記憶していなかった。その画家が鈴木松年だったのだ。
そうだったのか。
曰く
鈴木松年は信心深く、1914年(大正3年)、発願して永観堂境内に 「画仙堂」 を上棟、寄進した。〔松年 67歳〕
画仙堂の天井画 「天龍図」 は 松年の息子 鈴木松僊(すずきしょうせん)に託した。〔松年 43歳〕
画仙堂の天井画 「天龍図」 は 松年の息子 鈴木松僊(すずきしょうせん)に託した。〔松年 43歳〕
そういえば画仙堂に 「天龍図」 もあったなぁ。
【過去の関連記事】 見て歩る記 京都編(京都府も含む) ただし、2019年以降。 ◆ 鈴木松年の墓(2020.2.11) 長楽寺 ◆ 男山に登る(2019.12.19) 石清水八幡宮 ◆ さすがは紅葉の名所(2019.11.24) 永観堂 ◆ 一服の清涼剤(2019.6.16) 東林院 ◆ サツキ 古寺染める(2019.6.8) 善峯寺 ◆ ラッキーなイメージ(2019.5.18) 切戸の文殊堂 ◆ 明智藪はいま(2019.4.18) 明智藪 ◆ 優美で豪華(2019.3.3) 京都御所 ◆ 猪(亥)ゆかりのお寺(2019.1.14) 禅居庵 ◆ 猪はことしの干支(2019.1.6) 護王神社 ◆ デジタルサイネージ(2019.1.3) 伏見稲荷大社 2018~2015年はこちら 2015年以前はこちら |