鈴木松年の絵

2020.2.13

きょう嵯峨野に行く用事があった。
雨上がりの朝で、大堰川の先の嵐山には雲が低くたなびいていた。
珍しい景色かなと思ってシャッターを切った。

渡月橋
雲がたなびく嵐山 08:40 AM

所用を済ませたあと、天龍寺に寄った。
というのは、先日、鈴木松年(すずき・しょうねん)画伯の墓に参ったが、彼の描いた 雲龍図 が天龍寺にあり、毎年2月だけ公開されていると聞いたからだ。

雲龍

表に 『旧「雲龍図」』 と書いてある。
鈴木松年は明治32年、この雲龍図を和紙に描き、法堂(はっとう)の天井に貼られた。
しかし傷みが激しく修復不能となったので取りはずされたのがこの雲龍図だという。
以前、この図が法堂にあったので 『旧』 と呼ばれている。

取りはずされた図は、今はそれをこのようにパネルに表装しなおして保存されているのだそうだ。、

雲龍
雄大な雲龍

鈴木松年は激情家で絵の描き方も豪放だったらしいが、これだけ傷んでいるとそのエネルギーを感じるのがむつかしい。
しかし、龍の眼だけはしっかりとこちらを向いていた。

雲龍
損傷が激しく痛々しい

聞くところによると、おととしが鈴木松年没後100年だったそうだ。
その記念展が香雪美術館(神戸市東灘区)であったというが、全く知らなかった。
惜しいことをした。

なお、取り外された鈴木松年の雲龍図のあとには、こんどは加山又造画伯が杉板に描いた雲龍図が法堂に掲げられているという。(平成9年)
きょうは公開されていなくて、見ることができなかった。

曹源池庭園(そうげんちていえん)を見て帰った。

あとで知ったのだが、庭園内には鈴木松年が雲龍図を描くときに使った硯石があったそうだが見落とした。


2020.2.13







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名前が しょうじ なので障子が背景となっている。ペンネームはアルファベットで shochan(しょうじの愛称)だが数字 31 の由来は不明だ。

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