古の京都を偲ぶ

2020.6.7

きょう所用で京都市内の西部で 「太秦(うずまさ)」 地区に行く機会があった。
新型コロナウイルス禍で外出がままならない時期で、運動不足なので、最寄りの電車の駅まで歩いた。
近くに 「蛇塚」 と呼ばれる古墳がある。
昔、一度見に行ったことがあると思うが記憶が定かでない。
そこで、寄り道してもう一度見に行くことにした。

住宅が建て込んでいてなかなか真っ直ぐ進めない。
やっと 「蛇塚」 を探り当てた。
見上げるばかりの石室だ。

蛇塚
露出した石室だけが住宅地に取り囲まれていた

解説板には、『もとは長さ80mにも達する前方後円墳だったが、古くから墳丘封土が失われ、いまは後円部中央の石室(玄室)だけが残って露出している』、『蛇塚古墳という』、『周囲の輪郭をたどると、いまでも前方後円墳の形をとどめている』とある。
長さ 80m の古墳か ・・・
昔は土地があったからなぁ ・・・
それにしても大きいな。

再び解説板、『この付近一帯は、その昔、渡来系の (はた) 一族によって開発されたと考えられており、この古墳は首長クラスの墓と考えられる』、『玄室の幅は奈良県桜井市の石舞台よりも大きく、床面積でも全国第4位の規模を誇る』

蛇塚
解説板

(はた) 一族といえば、京都が平安京になるずっと以前からこの盆地に住み、治水、農業、養蚕、織物などの先進技術にすぐれていたことは、京都市民にはよく知られた話だ。

そんな人々の首長、中国からか朝鮮半島からかはわからないが ・・・ 四季の変化があり、平和なこの国が気に入ったのだろうか ・・・ はるかこの国に住みついて我々の文化の基礎を築いた ・・・ よくはわからない (いにしえ) に思いを馳せた。

京都は想像する町である。

2020.6.7




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ただし、2019年以降。

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