雪の庭、命名の由来
2023.1.25
京都には 「雪月花の三庭園」 がある。(註: 面白いことに 北野天満宮は「三庭苑」、妙満寺は「三名園」という表現を使っている)
ところが、正確には 「三庭園があった」 というべきなのだ。
が、ここからちょっと小難しい話なので読み飛ばしてもらっても構わない。
三庭園は、松永貞徳(1571-1654)という人が江戸時代の初めの頃、京都に「成就(じょうじゅ)」と名のつく3つのお寺の境内にひとつずつ庭を作ったもので、具体的には、
「雪の庭」(妙満寺・成就院境内)、
「月の庭」(清水寺・成就院境内)、
「花の庭」(北野天満宮・北野成就坊境内)
の3つの庭だが、当時からいまも現存するのは「月の庭」だけだ。
「雪の庭」(妙満寺・成就院)はというと・・・・
万物流転、何ごともとどまることを知らない。
不変のように思える お寺の庭も 時の経過とともに変化しているわけである。
・・・ と、えらい難しい話になったが、ここまでは読み飛ばしてもらっても差し支えない。
本題はここからだ。
京都はきのう夕方から雪が降りはじめ、下の写真のように かなり雪が積もった。
この冬初めての積雪だ。
それで 「雪月花の三庭園」 のひとつ、「雪の庭」 を見に行った。

山門に向かう、10:00 AM

三寺院代表者による揮毫、雪・月・花 (妙満寺本坊で)
さっそく本坊に向かう。
目の前にはよく整備された庭が広がっていた。

本坊で 「雪の庭」 と名づけられた庭を鑑賞する筆者
けさの雪で、まさに 名前のとおりの 「雪の庭」である。

別の角度 から見た雪の庭
・・・ と思ったが、どの庭だって雪が積もれば 「雪の庭」 じゃぁないか。
そこで、この庭が 「雪の庭」と呼ばれる所以 を考えてみた。
それがきょうの私だ。
妙満寺で貰ったパンフレットにはこう書かれている。

比叡の峰を借景にした冠雪の眺望が最も美しく、これが「雪の庭」と称される由縁である。昭和43年、当山が寺町二条から岩倉へ遷堂した際、成就院より本坊の庭へ移築した。
なるほど、雪の積もった比叡山を借景にするのか !
しかし、きょうは雪雲のせいか、私が市内からいつも見慣れている比叡の姿は見えない。
んー、残念 と思ったら 傍に 「本堂から比叡山がよく見えます」 との案内板があった。
じゃぁ、と境内奥の少し高台にある本堂に行ってみると、かすかに比叡山らしき山影が見えた。

本堂から比叡山の方向を望む、正面の饅頭型の山は一条山
比叡山がキレイに写った写真をインターネットで探したら、あった。

ブログ 「京都もよう」 から拝借(2014.11.20 撮影) 掲載許可申請中
「雪の庭」 からは比叡山は見えないのだ。
本坊から見えるのは一条山なのだ。
おかしいなと思って 調べてみたら、成就院がかつて寺町二条にあった当時は、冬には冠雪した比叡山がよく見えたそうだ。
(いまでも京都市内からは比叡山を望むことができる)
なぜ 「雪の庭」 と呼ばれるのか。
きょうの結論 ⇒ かつてはお庭から冠雪した比叡山がよく見え、それを借景にしたので 「雪の庭」 と称した
附記 ⇒ お庭がいまの場所に移築されて以来、冠雪した比叡山は見えなくなったが、伝統的に 「雪の庭」 と呼んでいる
ということで、雪が積もった庭だから 「雪の庭」 と呼ぶのではないことがわかった。(笑)
なお、インターネットを見ているといろんなことが書かれている。
なかには、「雪見障子を通して見る庭なので「雪の庭」という」 などといった "珍説" もあった。(笑)
お寺の中を一巡して帰るころには多くの参拝客でにぎわっていた。
お寺の方も 「きょうは雪が積もったので多くの方が来られてます」 と仰っていた。

寺務所玄関、11:00 AM
人気の庭である。
2023.1.25
---------------------------------------
付録 2023.1.25
雪の妙満寺に行った帰りに撮った写真を2枚披露します。
妙満寺へは叡山電鉄鞍馬線、木野駅で下車して歩くが、途中長代川(ちょうだいがわ)に架かる橋を渡る。
その橋の名が 「あんた橋」 といって面白いと思ったが、行きしに撮らなかったので帰りに撮った。

あんた橋
あんた橋のことはかつて、知人のY氏から聞いたことがあったようだと思い、調べてみたら、以下の由来がわかった。
昔聞いたことのある橋は、この橋だったのか !
ラッキー。
あんた橋を渡って木野駅に向かう道端に大きな雪だるまがこさえてあった。
でも、ふつうの雪だるまとちょっと違う ・・・
よく見るとトトロのようだ。

これはトトロに違いない
なかなかの傑作(力作)である。
せっかく作っても もすぐ解けると思うと惜しい気がした。
京都には 「雪月花の三庭園」 がある。(註: 面白いことに 北野天満宮は「三庭苑」、妙満寺は「三名園」という表現を使っている)
ところが、正確には 「三庭園があった」 というべきなのだ。
が、ここからちょっと小難しい話なので読み飛ばしてもらっても構わない。
三庭園は、松永貞徳(1571-1654)という人が江戸時代の初めの頃、京都に「成就(じょうじゅ)」と名のつく3つのお寺の境内にひとつずつ庭を作ったもので、具体的には、
「雪の庭」(妙満寺・成就院境内)、
「月の庭」(清水寺・成就院境内)、
「花の庭」(北野天満宮・北野成就坊境内)
の3つの庭だが、当時からいまも現存するのは「月の庭」だけだ。
「雪の庭」(妙満寺・成就院)はというと・・・・
江戸時代、京都市内にあった妙満寺の塔頭・成就院に庭が作られたが、昭和時代に〔塔頭も含めて〕妙満寺全体が京都郊外、岩倉という所に移転 (妙満寺では 「遷堂」 と云う) した際、庭は成就院の境内ではなく妙満寺本坊の東側に移築され、いまは妙満寺本坊の東側にある。
「花の庭」(北野天満宮・北野成就坊)はというと・・・・北野成就坊は廃仏毀釈の際に破却されたのか明治以降廃絶し、庭も破却された。北野天満宮境内に従来からあった梅林を整備、改称して 庭が 去年(2022年)再興された。
万物流転、何ごともとどまることを知らない。
不変のように思える お寺の庭も 時の経過とともに変化しているわけである。
・・・ と、えらい難しい話になったが、ここまでは読み飛ばしてもらっても差し支えない。
本題はここからだ。
京都はきのう夕方から雪が降りはじめ、下の写真のように かなり雪が積もった。
この冬初めての積雪だ。
それで 「雪月花の三庭園」 のひとつ、「雪の庭」 を見に行った。

山門に向かう、10:00 AM

三寺院代表者による揮毫、雪・月・花 (妙満寺本坊で)
さっそく本坊に向かう。
目の前にはよく整備された庭が広がっていた。

本坊で 「雪の庭」 と名づけられた庭を鑑賞する筆者
けさの雪で、まさに 名前のとおりの 「雪の庭」である。

別の角度 から見た雪の庭
・・・ と思ったが、どの庭だって雪が積もれば 「雪の庭」 じゃぁないか。
そこで、この庭が 「雪の庭」と呼ばれる所以 を考えてみた。
それがきょうの私だ。
妙満寺で貰ったパンフレットにはこう書かれている。

比叡の峰を借景にした冠雪の眺望が最も美しく、これが「雪の庭」と称される由縁である。昭和43年、当山が寺町二条から岩倉へ遷堂した際、成就院より本坊の庭へ移築した。
なるほど、雪の積もった比叡山を借景にするのか !
しかし、きょうは雪雲のせいか、私が市内からいつも見慣れている比叡の姿は見えない。
んー、残念 と思ったら 傍に 「本堂から比叡山がよく見えます」 との案内板があった。
じゃぁ、と境内奥の少し高台にある本堂に行ってみると、かすかに比叡山らしき山影が見えた。

本堂から比叡山の方向を望む、正面の饅頭型の山は一条山
比叡山がキレイに写った写真をインターネットで探したら、あった。

ブログ 「京都もよう」 から拝借(2014.11.20 撮影) 掲載許可申請中
「雪の庭」 からは比叡山は見えないのだ。
本坊から見えるのは一条山なのだ。
おかしいなと思って 調べてみたら、成就院がかつて寺町二条にあった当時は、冬には冠雪した比叡山がよく見えたそうだ。
(いまでも京都市内からは比叡山を望むことができる)
なぜ 「雪の庭」 と呼ばれるのか。
きょうの結論 ⇒ かつてはお庭から冠雪した比叡山がよく見え、それを借景にしたので 「雪の庭」 と称した
附記 ⇒ お庭がいまの場所に移築されて以来、冠雪した比叡山は見えなくなったが、伝統的に 「雪の庭」 と呼んでいる
ということで、雪が積もった庭だから 「雪の庭」 と呼ぶのではないことがわかった。(笑)
なお、インターネットを見ているといろんなことが書かれている。
なかには、「雪見障子を通して見る庭なので「雪の庭」という」 などといった "珍説" もあった。(笑)
お寺の中を一巡して帰るころには多くの参拝客でにぎわっていた。
お寺の方も 「きょうは雪が積もったので多くの方が来られてます」 と仰っていた。

寺務所玄関、11:00 AM
人気の庭である。
2023.1.25
付録 2023.1.25
雪の妙満寺に行った帰りに撮った写真を2枚披露します。
妙満寺へは叡山電鉄鞍馬線、木野駅で下車して歩くが、途中長代川(ちょうだいがわ)に架かる橋を渡る。
その橋の名が 「あんた橋」 といって面白いと思ったが、行きしに撮らなかったので帰りに撮った。

あんた橋
あんた橋のことはかつて、知人のY氏から聞いたことがあったようだと思い、調べてみたら、以下の由来がわかった。
このユニークな橋の名前の由来には次のようなほほえましい話がある。
その昔、ここには二本の丸太を並べただけの簡単な橋だったので、お互いが行き合うと「あんたさんからお先にどうぞ」「いや、あんたさんからどうぞ」とお互いに譲り合ったので誰云うとなく「あんた橋」と呼ぶようになった。
その昔、ここには二本の丸太を並べただけの簡単な橋だったので、お互いが行き合うと「あんたさんからお先にどうぞ」「いや、あんたさんからどうぞ」とお互いに譲り合ったので誰云うとなく「あんた橋」と呼ぶようになった。
昔聞いたことのある橋は、この橋だったのか !
ラッキー。
あんた橋を渡って木野駅に向かう道端に大きな雪だるまがこさえてあった。
でも、ふつうの雪だるまとちょっと違う ・・・
よく見るとトトロのようだ。

これはトトロに違いない
なかなかの傑作(力作)である。
せっかく作っても もすぐ解けると思うと惜しい気がした。
【過去の関連記事】 京都 雪月花の三庭園 ◆ 雪の庭(2023.1.25) 雪の庭、命名の由来 ◆ 月の庭(2022.4.30) なぜ月の庭と呼ぶか ◆ 花の庭(2022.3.4) 再興された 花の庭 |