一生の見納め 金閣寺
2023.4.25
所用で金閣寺の近くまで来た。
用事を済ませて帰るとき、もう自分も歳やから、"一生の見納めに・・・ " と思って金閣寺に入った。
参道際で まず目にしたのが 「舟形、一文字蹲踞(つくばい)」 という石。
へぇー、一文字の蹲踞が こんなとこにもあったのか。

こんなとこにもにもあった一文字蹲踞
私が気づいたのはきょうが初めてだが、京都では結構知られたものらしい。
似た形のものとして 私が知っているのは青蓮院にある 「一文字手水鉢」 で(画像はインターネットから拝借・加工) →
これは 豊臣秀吉が寄進したという謂れのある立派なものだ。
こちら 金閣寺のものもなかなか立派だが、こちらは 「馬が水を飲むための水槽だった」 という言い伝えがあるそうな。
馬のためのものにしては、ずいぶん立派だ。
ほんまかいな。
しかし、そんな 〔馬のためという〕 謂れのためなのか、道端に無造作に置かれていた。
謎の石だ。
ここはまだ無料区域だが、さらに進んで、拝観料 (今月から500円に値上げになったという )を払って中に入る。
早速 金閣が見える。
皆一度は立ち止まるという、京都で一・ニの観光スポットだ。

パソコンでご覧の方はマウスを乗せると英語表示が見えます
警備のおじさんが和英両文で 「集合写真禁止」 とパウチしたものを持って目を光らせてウロウロしている。
観光客にしてみたら、せっかく来たんだから 記念にみんなで写真を撮りたいと思うのが人情だ。
英語を見たら 「No Photos with a Large Group」 とあるので、10人程度まで(?)だったらいいみたいでほっとした。(笑)
しばらく進むと 「陸舟の松(りくしゅうのまつ)」 という表示があった。
見学路からちょっとそれたところにあるが、観光コースに入っているのか皆立ち寄るので、私も従った。
しばらく立っているといろんなガイドさんの声が聞こえてくる。
「元は義満の盆栽だった」 「帆掛け船の形をしている」 「船は西方浄土の西を向いている」 という説明は共通しているが、樹齢は「650年」「600年」「400年」 とまちまちだった。
ま、いずれにしても樹齢は驚異的な数字だし、例えばアメリカ人にとってみたら独立以前からあるんだから、彼らにとってこの数字はとにかく驚異には違いない。
この木全体を見て帆掛け船を連想する人が大多数だと思うが、写真を撮る観光客のカメラのモニターを見ていると、なかには、手前に斜めに広がるのを 「陸舟の松」 と思う人もあれば、後ろに直立する木を 「陸舟の松」 と思う人もあるようで興味深かった。

マウスを乗せると帆掛け船が現れます
ガイドさんにしてみたら、多分 (両方合わせて帆掛け船) が常識なんだろうから、詳しく説明しないようだ。
しかし、観光客には多少の混乱が生じているみたいだった。
「陸舟の松」 の後ろを振りむけば金閣が間近に見られる。
今日は天気が悪いが、金の壁面は異常に輝いて見える。
すごいね。これも日本文化か ・・・。
そして歩みを進めると、初層部分で湖上に突き出た切妻造りの建屋が見えた。

湖上に突き出た建屋
多くの観光客も この 『美』 に気づくいてくれているようで嬉しかった。
さらに進むと 「貴人榻(きじんとう)」 というモノがあった。

昔、高貴な人が座られた腰掛石、という
傍の駒札には 「高貴な人が座られた腰掛石」 と説明されていた。 →
以前、知人から 「あの "榻" はシジというもので、牛車の牛を取り放した時、轅(ながえ)の軛(くびき)を支えるもので、腰かけじゃない」 とのハナシを聞いたことがあったのを思い出した。
しかし、ガイドさんはこの駒札に従って、"高貴な人が座られた" と説明するので、ガイドさんに促された女子修学旅行生たちはキャッキャッ云いながら次から次へとこの石に座って写真を撮っていた。
その傍らで、私はひとり 「あぁ、あのときの "榻" って、これか!」 としげしげと眺めていた。
2023.4.25
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追記 2023.4.26
「貴人榻(きじんとう)」 を教えてくれた知人に 『きのう金閣寺で「貴人榻」を見つけて、昔聞いたことを思い出しました』 と知らせたら、さっそく返事があった。
その博識に舌をまいた。
2023.4.26
所用で金閣寺の近くまで来た。
用事を済ませて帰るとき、もう自分も歳やから、"一生の見納めに・・・ " と思って金閣寺に入った。
参道際で まず目にしたのが 「舟形、一文字蹲踞(つくばい)」 という石。
へぇー、一文字の蹲踞が こんなとこにもあったのか。

こんなとこにもにもあった一文字蹲踞

似た形のものとして 私が知っているのは青蓮院にある 「一文字手水鉢」 で(画像はインターネットから拝借・加工) →
これは 豊臣秀吉が寄進したという謂れのある立派なものだ。
こちら 金閣寺のものもなかなか立派だが、こちらは 「馬が水を飲むための水槽だった」 という言い伝えがあるそうな。
馬のためのものにしては、ずいぶん立派だ。
ほんまかいな。
しかし、そんな 〔馬のためという〕 謂れのためなのか、道端に無造作に置かれていた。
謎の石だ。
ここはまだ無料区域だが、さらに進んで、拝観料 (今月から500円に値上げになったという )を払って中に入る。
早速 金閣が見える。
皆一度は立ち止まるという、京都で一・ニの観光スポットだ。

パソコンでご覧の方はマウスを乗せると英語表示が見えます
警備のおじさんが和英両文で 「集合写真禁止」 とパウチしたものを持って目を光らせてウロウロしている。
観光客にしてみたら、せっかく来たんだから 記念にみんなで写真を撮りたいと思うのが人情だ。
英語を見たら 「No Photos with a Large Group」 とあるので、10人程度まで(?)だったらいいみたいでほっとした。(笑)
しばらく進むと 「陸舟の松(りくしゅうのまつ)」 という表示があった。
見学路からちょっとそれたところにあるが、観光コースに入っているのか皆立ち寄るので、私も従った。
しばらく立っているといろんなガイドさんの声が聞こえてくる。
「元は義満の盆栽だった」 「帆掛け船の形をしている」 「船は西方浄土の西を向いている」 という説明は共通しているが、樹齢は「650年」「600年」「400年」 とまちまちだった。
ま、いずれにしても樹齢は驚異的な数字だし、例えばアメリカ人にとってみたら独立以前からあるんだから、彼らにとってこの数字はとにかく驚異には違いない。
この木全体を見て帆掛け船を連想する人が大多数だと思うが、写真を撮る観光客のカメラのモニターを見ていると、なかには、手前に斜めに広がるのを 「陸舟の松」 と思う人もあれば、後ろに直立する木を 「陸舟の松」 と思う人もあるようで興味深かった。

マウスを乗せると帆掛け船が現れます
ガイドさんにしてみたら、多分 (両方合わせて帆掛け船) が常識なんだろうから、詳しく説明しないようだ。
しかし、観光客には多少の混乱が生じているみたいだった。
「陸舟の松」 の後ろを振りむけば金閣が間近に見られる。
今日は天気が悪いが、金の壁面は異常に輝いて見える。
すごいね。これも日本文化か ・・・。
そして歩みを進めると、初層部分で湖上に突き出た切妻造りの建屋が見えた。
(説明によるとこの建屋は 「漱清(そうせい)」 と名づけられた釣り殿だそうだ)
上層の金属質に比べ、木の弱々そうな (暗い木質) との対比が見ものだ。
湖上に突き出た建屋
多くの観光客も この 『美』 に気づくいてくれているようで嬉しかった。
さらに進むと 「貴人榻(きじんとう)」 というモノがあった。

昔、高貴な人が座られた腰掛石、という

以前、知人から 「あの "榻" はシジというもので、牛車の牛を取り放した時、轅(ながえ)の軛(くびき)を支えるもので、腰かけじゃない」 とのハナシを聞いたことがあったのを思い出した。
しかし、ガイドさんはこの駒札に従って、"高貴な人が座られた" と説明するので、ガイドさんに促された女子修学旅行生たちはキャッキャッ云いながら次から次へとこの石に座って写真を撮っていた。
その傍らで、私はひとり 「あぁ、あのときの "榻" って、これか!」 としげしげと眺めていた。
2023.4.25
追記 2023.4.26
「貴人榻(きじんとう)」 を教えてくれた知人に 『きのう金閣寺で「貴人榻」を見つけて、昔聞いたことを思い出しました』 と知らせたら、さっそく返事があった。
外に置かれていて、位の高い人が「馬」に乗るときの踏み台に使用していた との話もあります
将軍など位の高い人は、古くから専用の折りたたみの椅子を家来が持ち、冷たい石には座らないです
これらを考えると椅子ではなく、踏み台では?
とのことだった。将軍など位の高い人は、古くから専用の折りたたみの椅子を家来が持ち、冷たい石には座らないです
これらを考えると椅子ではなく、踏み台では?
その博識に舌をまいた。
2023.4.26