植民地時代を思う

2023.11.11

久しぶりに東京に行く機会があったので、ついでに目黒の(※)東京都庭園美術館に立ち寄った。
(※ JR目黒駅の近所だが、実際は港区白金台という所にある)

もとの朝香宮邸の内部を美術館として公開し、同時に庭園も開放しているので "庭園美術館" と名づけられたらしい。
この "庭園美術館" がオープンして10月1日に40周年を迎えたというから、そんな節目に訪れることができたのはラッキーだった。

この旧朝香宮邸は当時ヨーロッパで流行していたアール・デコ装飾を取り入れて昭和8年に建てられたという。

朝香宮邸

朝香宮邸

40周年を記念して、邸内には当時の美術工芸品などが展示されていたが、その中で私が注目したのは 当時の このポスターだった。

植民地博

Exposition Coloniale Internationale, Paris 1931
1931年(昭和6年)にパリで開催された国際植民地博覧会のものだ。

植民地博

見れば4人の顔が描かれている。
うしろ、白い布をまとっているのはアラブ人だろう。
その手前右は黒人だからアフリカ人。その左は黒髪と褐色の肌なのでアジア人か。
手前はアオザイをかぶる女性で、ベトナム人。
(ベトナムは当時フランスの植民地だったから、正面にもってきて強調してるのだろうか)

肌の白いヨーロッパ人から見れば非白人は "エキゾチック" そのものだ。
この博覧会は、そんな "エキゾチック" な文物を展示して興味を引いたものと思われる。
私も黒髪と褐色の肌をもつアジア人のひとりなので、画家はこのポスターを好奇の目で描いたのか、差別の目で描いたのか気になるところだ。
まさか、動物園(zoo)のポスターではないだろう。

植民地 coloniale コロニアル。
いまや 「コロニアル(植民地)」 は死語だと思うが、15世紀ころの 「大航海時代」 以降 「植民地」 は世界を席巻したのだ。
このポスターを見た私の頭の中は、黒人奴隷貿易、プランテーションによる搾取、ベトナム戦争の悲劇 ・・・・ 人類の暗黒史が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。

高杉晋作さらに私の連想は続く ・・・・
15世紀以降、アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアと、地球全体が欧州先進国の植民地となった。
いや、いまも続いていると見ることもできる。
しかし我が国は豊臣秀吉や徳川幕府の賢明な判断で、幸い欧州先進国の餌食にならずに済んだ。
あっそうそう、幕末のときも危うかった。

文久3年(1863)長州軍がアメリカ船を打ち払った報復として、長州軍はアメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊に下関を攻められ降参した。
イギリスとの停戦交渉のとき、イギリスは彦島の租借を要求したが、長州側交渉役の 高杉晋作 はそらんじていた古事記の文章を滔々と謳いあげてイギリス側を煙(ケム)に巻き、租借をあきらめさせたというエピソードを思い出した。(異説もあるらしいが)

もしあのとき彦島がイギリスの租借地になっていたら、わが国はアヘン戦争に負けて植民地になった中国の轍を踏んでいたかもわからない。

この 「植民地博」 のポスターを見てこんなことまで思ったが ・・・・ 想像がたくましすぎたようだった。(笑)

写真は上野彦馬という写真師が慶応2年(1866)に長崎の「上野撮影局(写真館)」で撮影した高杉晋作の肖像(鶏卵紙)

2023.11.11










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